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2019年8月4日「一人を愛し抜く」マタイの福音書第5章27節〜32節 岩本遠億牧師
ただ一人を愛し抜く マタイの福音書第5章27節〜32節 岩本遠億牧師 2019年8月4日 “『姦淫してはならない』と言われていたのを、あなたがたは聞いています。しかし、わたしはあなたがたに言います。情欲を抱いて女を見る者はだれでも、心の中ですでに姦淫を犯したのです。もし右の目があなたをつまずかせるなら、えぐり出して捨てなさい。からだの一部を失っても、全身がゲヘナに投げ込まれないほうがよいのです。もし右の手があなたをつまずかせるなら、切って捨てなさい。からだの一部を失っても、全身がゲヘナに落ちないほうがよいのです。また『妻を離縁する者は離縁状を与えよ』と言われていました。しかし、わたしはあなたがたに言います。だれでも、淫らな行い以外の理由で自分の妻を離縁する者は、妻に姦淫を犯させることになります。また、離縁された女と結婚すれば、姦淫を犯すことになるのです。”マタイの福音書 5章27~32節聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会 聖書の言葉は、その時代、その地域・社会の中で語られた。時代と地域社会というコンテキストを無視して聖書を読む →聖書が意図しない倫理観を生み出す この箇所についての誤解 ➢性欲の否定 ➢他人の妻・婚約者を対象とした性欲に焦点 イエス・キリストの教えは、具体的。 ◇当時のイスラエルの社会悪を糾弾している。 “人が他人の妻と姦淫したなら、すなわち自分の隣人の妻と姦淫したなら、その姦淫した男も女も必ず殺されなければならない。”レビ記 20章10節聖書 新改訳 結婚に関する当時の社会悪 離縁する権利があったのは男性だけ 申命記24:1 人が妻をめとり、その夫となってから、妻に何か恥ずべきことを見いだし、気に入らなくなったときは、離縁状を書いて彼女の手に渡し、家を去らせる。 パリサイ派の律法学者:二つの見解 1.妻が性的な不道徳を犯した場合のみ離縁できる 2.料理を失敗したとか、他の男性と話しをするなど些細な理由   ラビ・アキバ 「妻が気に入らなくなったら離縁できる」 多くの人が第二の見解を受け入れる マタイの福音書 19章3~10節 パリサイ人たちがみもとに来て、イエスを試みるために言った。「何か理由があれば、妻を離縁することは律法にかなっているでしょうか。」イエスは答えられた。「あなたがたは読んだことがないのですか。創造者ははじめの時から『男と女に彼らを創造され』ました。そして、『それゆえ、男は父と母を離れ、その妻と結ばれ、ふたりは一体となるのである』と言われました。ですから、彼らはもはやふたりではなく一体なのです。そういうわけで、神が結び合わせたものを人が引き離してはなりません。」彼らはイエスに言った。「それでは、なぜモーセは離縁状を渡して妻を離縁せよと命じたのですか。」イエスは彼らに言われた。「モーセは、あなたがたの心が頑ななので、あなたがたに妻を離縁することを許したのです。しかし、はじめの時からそうだったのではありません。あなたがたに言います。だれでも、淫らな行い以外の理由で自分の妻を離縁し、別の女を妻とする者は、姦淫を犯すことになるのです。」弟子たちはイエスに言った。「もし夫と妻の関係がそのようなものなら、結婚しないほうがましです。」” マラキ書 2章13~16節 あなたがたはもう一つのことをしている。あなたがたは、涙と悲鳴と嘆きで、主の祭壇をおおっている。主が、もうささげ物を顧みず、あなたがたの手からそれを喜んで受け取られないからだ。「それはなぜなのか」とあなたがたは言う。それは主が、あなたとあなたの若いときの妻との証人であり、あなたがその妻を裏切ったからだ。彼女はあなたの伴侶であり、あなたの契約の妻であるのに。神は人を一体に造られたのではないか。そこには、霊の残りがある。その一体の人は何を求めるのか。神の子孫ではないか。あなたがたは、自分の霊に注意せよ。あなたの若いときの妻を裏切ってはならない。「妻を憎んで離婚するなら、──イスラエルの神、主は言われる──暴虐がその者の衣をおおう。──万軍の主は言われる。」あなたがたは自分の霊に注意せよ。裏切ってはならない。” 離婚された女性=生産手段を持たない ⇒他の男性と再婚、あるいは、身を売るしかない マタイの福音書 21章31~32節 「まことに、あなたがたに言います。取税人たちや遊女たちが、あなたがたより先に神の国に入ります。なぜなら、ヨハネがあなたがたのところに来て義の道を示したのに、あなたがたは信じず、取税人たちや遊女たちは信じたからです。あなたがたはそれを見ても、後で思い直して信じることをしませんでした。” “イエスは答えられた。「この水を飲む人はみな、また渇きます。しかし、わたしが与える水を飲む人は、いつまでも決して渇くことがありません。わたしが与える水は、その人の内で泉となり、永遠のいのちへの水が湧き出ます。」”ヨハネの福音書 4章13~14節聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会 何故、姦淫は死刑になるほどの罪なのか? 複数の人との性交渉=複数の神礼拝と直結 ただ一人の人を愛し抜く=ただ一人の神を愛し抜く 人には心は一つしかない→愛せる対象は一人 ソロモン王   300人の妻と700人の側女              ↓          主を捨て偶像崇拝者へと              ↓          イスラエル王国滅亡への道 「聞け、イスラエルよ。主はただ一人の神である。あなたは、心を尽くし、力を尽くし、思いを尽くして主なるあなたの神を愛せよ。」 ただ一人の人を愛し抜く=ただ一人の神を愛し抜くことを知る 旧約の預言者ホセア ゴメルは恋人の後を追い、姦淫を犯し恋人の子供を産む          ↓ 主からの言葉 「姦淫の女と姦淫の子等を引き取れ」          ↓ ホセアの妻となるゴメル          ↓ ホセアから離れ、姦淫を犯し続け、ついに奴隷とされ、偶像の神殿で参拝者に体を提供          ↓ 主の言葉「再び行って、姦淫の妻を引き取れ」          ↓ 銀15枚(女性の奴隷を買い取る金額)でゴメルを身請けし、救い出す          ↓ 神様の変わらぬ愛とは何かを知る サマリアの女 4人の男性と結婚→幸せになれない 今は別の人と同棲生活 異性によっては心の奥の奥の渇きは満たされない “イエスは答えられた。「この水を飲む人はみな、また渇きます。しかし、わたしが与える水を飲む人は、いつまでも決して渇くことがありません。わたしが与える水は、その人の内で泉となり、永遠のいのちへの水が湧き出ます。」”ヨハネの福音書 4章13~14節”しかし、まことの礼拝者たちが、御霊と真理によって父を礼拝する時が来ます。今がその時です。父はそのような人たちを、ご自分を礼拝する者として求めておられるのです。神は霊ですから、神を礼拝する人は、御霊と真理によって礼拝しなければなりません。」”ヨハネの福音書 4章23~24節
30:31
August 4, 2019
2019年7月28日「激しい言葉から守られて」マタイの福音書第5章21節〜26節 岩本遠億牧師
激しい言葉から守られて マタイの福音書第5章21節〜26節 岩本遠億牧師 2019年7月28日 “昔の人々に対して、『殺してはならない。人を殺す者はさばきを受けなければならない』と言われていたのを、あなたがたは聞いています。しかし、わたしはあなたがたに言います。兄弟に対して怒る者は、だれでもさばきを受けなければなりません(裁きを免れることはできない)。兄弟に『ばか者』と言う者は最高法院でさばかれます。『愚か者』と言う者は火の燃えるゲヘナに投げ込まれます。 ですから、祭壇の上にささげ物を献げようとしているときに、兄弟が自分を恨んでいることを思い出したなら、ささげ物はそこに、祭壇の前に置き、行って、まずあなたの兄弟と仲直りをしなさい。それから戻って、そのささげ物を献げなさい。 あなたを訴える人とは、一緒に行く途中で早く和解しなさい。そうでないと、訴える人はあなたを裁判官に引き渡し、裁判官は下役に引き渡し、あなたは牢に投げ込まれることになります。まことに、あなたに言います。最後の一コドラントを支払うまで、そこから決して出ることはできません。“ マタイの福音書 5章21~26節 地の塩、世の光とは、神の言葉によって神の灯火を心に与えられた者。       ↓ どのように神の言葉を聞き取っていくのか?       ↓ 私たちはどう生きるのか? あなたがたの義が、律法学者やパリサイ人の義にまさっていなければ、あなたがたは決して天の御国に入れません。 天の御国 ✕死んでから行く天国 ○この地に行われる神の支配 ➡︎あなたがたの義が、律法学者やパリサイ人の義にまさっていなければ、あなたがたはこの地で行われる神の支配の祝福に決して関わることができない。 怒る→裁きを受けなければならない 兄弟に『ばか者』と言う→最高法院で裁かれる 『愚か者』と言う→火の燃えるゲヘナに投げ込まれる 一般の理解:心の中の怒りは殺人と同じ罪      誰でも怒ったことはある      →誰でも罪びと      →地獄に落とされないためにイエス様を信じましょう 「天の御国に入れません」の理解に問題 “そこで主君は彼を呼びつけて言った。『悪い家来だ。おまえが私に懇願したから、私はおまえの負債をすべて免除してやったのだ。私がおまえをあわれんでやったように、おまえも自分の仲間をあわれんでやるべきではなかったのか。』こうして、主君(=神様)は怒って、負債をすべて返すまで彼を獄吏たちに引き渡した。” マタイの福音書 18章32~34節 “それで再び、次のように言って別のしもべたちを遣わした。『招待した客にこう言いなさい。「私は食事を用意しました。私の雄牛や肥えた家畜を屠り、何もかも整いました。どうぞ披露宴においでください」と。』ところが彼らは気にもかけず、ある者は自分の畑に、別の者は自分の商売に出て行き、残りの者たちは、王のしもべたちを捕まえて侮辱し、殺してしまった。王(=神様)は怒って軍隊を送り、その人殺しどもを滅ぼして、彼らの町を焼き払った。”                   マタイの福音書 22章4~7節 「怒っても罪を犯してはなりません。」エペソ:4:26 怒れ!しかし、罪を犯すな! 聖書は、怒ること自体を悪、罪とは言っていない。 『愚か者』(moros)と言う →火の燃えるゲヘナに投げ込まれる ゲヘナ:エルサレムのゴミ捨て場、常時火でゴミを燃やし続けていた →地獄のイメージとして定着 “わざわいだ、目の見えない案内人たち。おまえたちは言っている。『だれでも神殿にかけて誓うのであれば、何の義務もない。しかし、神殿の黄金にかけて誓うのであれば、果たす義務がある。』 愚か(moroi)で目の見えない者たち。黄金と、その黄金を聖なるものにする神殿と、どちらが重要なのか。“ マタイの福音書 23章16~17節 イエス・キリスト自身がパリサイ派律法学者たちを「愚か者」と呼んでおられる。 怒ること、人を愚か者と呼ぶこと自体が神に赦されることのない、罪ではない。         ⬇︎ ここで裁き、最高法院(サンへドリン)、ゲヘナの火と言うのは、この世での現実的な裁きを意味する。 では、キリストのここで教えは何か? 弟子たちがこの世の裁きから守られるための知恵を授けている。 キリスト自身は、パリサイ派律法学者たちに「愚か者、目が見えない者」、「災いなるかな!」と激しい言葉を使っておられる。 =神様の怒り、神様の言葉の代弁 →パリサイ派律法学者たちから恨みを買う、命を狙われる →十字架の苦しみに投げ入れられる =人々は、神様の言葉を代弁したキリストを裁き、殺した しかし、弟子たちはその必要はない。 →人の恨みを買うような言葉を使うな →自ら争いを引き起こさず、平和のうちに伝道せよ “ですから、祭壇の上にささげ物を献げようとしているときに、兄弟が自分を恨んでいることを思い出したなら、ささげ物はそこに、祭壇の前に置き、行って、まずあなたの兄弟と仲直りをしなさい。それから戻って、そのささげ物を献げなさい。あなたを訴える人とは、一緒に行く途中で早く和解しなさい。そうでないと、訴える人はあなたを裁判官に引き渡し、裁判官は下役に引き渡し、あなたは牢に投げ込まれることになります。まことに、あなたに言います。最後の一コドラントを支払うまで、そこから決して出ることはできません。     マタイの福音書 5章21~26節
26:45
July 28, 2019
2019年7月21日「言葉の心を知る」マタイの福音書第5章17節〜20節
言葉の心を知る マタイの福音書第5章17節〜20節 岩本遠億牧師 2019年7月21日 “わたしが律法や預言者を廃棄するために来た、と思ってはなりません。廃棄するためではなく成就するために来たのです。まことに、あなたがたに言います。天地が消え去るまで、律法の一点一画も決して消え去ることはありません。すべてが実現します。ですから、これらの戒めの最も小さいものを一つでも破り、また破るように人々に教える者は、天の御国で最も小さい者と呼ばれます。しかし、それを行い、また行うように教える者は天の御国で偉大な者と呼ばれます。わたしはあなたがたに言います。あなたがたの義が、律法学者やパリサイ人の義にまさっていなければ、あなたがたは決して天の御国に入れません。” マタイの福音書 5章17~20節 地の塩、世の光とは、神の言葉によって神の灯火を心に与えられた者。       ↓ どのように神の言葉を聞き取っていくのか?       ↓ 私たちはどう生きるのか? あなたがたの義が、律法学者やパリサイ人の義にまさっていなければ、あなたがたは決して天の御国に入れません。 天の御国 ✕死んでから行く天国 ○この地に行われる神の支配 ➡︎あなたがたの義が、律法学者やパリサイ人の義にまさっていなければ、あなたがたはこの地で行われる神の支配の祝福に決して関わることができない。 誰に語られたのか? 幸いなるかな! 心(霊)の貧しい者 深い悲しみの中にある者 低められている者 義に飢え渇く者 憐れみ深い者 心の清い者 平和を造る者 義のために迫害されている者 ➔あなたがたは預言者と同じ者だ。神の言葉を託されている。 心貧しい、霊が貧しいからこそ、深い悲しみの中にあるからこそ、また、低められているからこそ、知ることができる義がある。 では、その「義」とは何か? 聖書における「義」=関係の正しさ ・神様との関係の正しさ ・人との関係の正しさ 神様は、「律法」によって「関係の正しさ」とは何かを示しておられる。    十戒 1〜4:神と人との正しい関係 5〜10:人と人との正しい関係 わたしは、あなたをエジプトの地、奴隷の家から導き出したあなたの神、主である。あなたには、わたし以外に、ほかの神があってはならない。 あなたは自分のために偶像を造ってはならない。 あなたは、あなたの神、主の名をみだりに口にしてはならない。 安息日を覚えて、これを聖なるものとせよ。 あなたの父と母を敬え。 殺してはならない。 姦淫してはならない。 盗んではならない。 あなたの隣人について、偽りの証言をしてはならない。 あなたの隣人の家を欲してはならない。 十戒を基礎とする613の規定 さらに、律法学者、パリサイ人たちによる多くの細則(口伝律法) 「わたしが律法や預言者を廃棄するために来た、と思ってはなりません。廃棄するためではなく成就するために来たのです。まことに、あなたがたに言います。天地が消え去るまで、律法の一点一画も決して消え去ることはありません。」 キリストの十字架刑の理由 ・安息日主義の否定 ・神殿礼拝主義の否定  ➡︎律法を廃棄しようとする者として処刑 律法を成就/完成/満たすとは何か? キリストの聖書解釈の手法:ミドラッシュ ミドラッシュ:「尋ねる、求める、探す」という語根から派生。 表面の世界の裏側にある、内側の真の状況を明らかにする。 ✕聖句の説明や解説 ○書かれている文字の裏側にある意味や論理(内的意味と傾向)を聖書全体の出来事やその状況を考慮しつつ引き出すこと。手島勲矢「成文律法と口伝律法」 まことに、あなたがたに言います。天地が消え去るまで、律法の一点一画も決して消え去ることはありません。すべてが実現します。ですから、これらの戒めの最も小さいものを一つでも破り、また破るように人々に教える者は、天の御国で最も小さい者と呼ばれます。しかし、それを行い、また行うように教える者は天の御国で偉大な者と呼ばれます。            ↓ その内的意味を基盤に律法を完成する “主は、地上に人の悪が増大し、その心に図ることがみな、いつも悪に傾くのをご覧になった。それで主は、地上に人を造ったことを悔やみ、心を痛められた。” 創世記 6章5~6節 “わたしは彼らに一つの心を与え、あなたがたのうちに新しい霊を与える。わたしは彼らのからだから石の心を取り除き、彼らに肉の心を与える。 こうして、彼らはわたしの掟に従って歩み、わたしの定めを守り行う。彼らはわたしの民となり、わたしは彼らの神となる。” エゼキエル書 11章19~20節 肉の心=霊の貧しさを知る心、深い悲しみを知る心、低められることを知る心 心貧しい、霊が貧しいからこそ、深い悲しみの中にあるからこそ、また、低められているからこそ、知ることができる義(神様との正しい関係、人との正しい関係)がある。 “雄やぎと雄牛の血や、若い雌牛の灰を汚れた人々に振りかけると、それが聖なるものとする働きをして、からだをきよいものにするのなら、 まして、キリストが傷のないご自分を、とこしえの御霊によって神にお献げになったその血は、どれだけ私たちの良心をきよめて死んだ行いから離れさせ、生ける神に仕える者にすることでしょうか。” ヘブル人への手紙 9章13~14節 “また私たちには、神の家を治める、この偉大な祭司がおられるのですから、 心に血が振りかけられて、邪悪な良心をきよめられ、からだをきよい水で洗われ、全き信仰をもって真心から神に近づこうではありませんか。 約束してくださった方は真実な方ですから、私たちは動揺しないで、しっかりと希望を告白し続けようではありませんか。” ヘブル人への手紙 10章21~23節 聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会 “私の子どもたち。私がこれらのことを書き送るのは、あなたがたが罪を犯さないようになるためです。しかし、もしだれかが罪を犯したなら、私たちには、御父の前でとりなしてくださる方、義なるイエス・キリストがおられます。 この方こそ、私たちの罪のための、いや、私たちの罪だけでなく、世全体の罪のための宥めのささげ物です。” ヨハネの手紙 第一 2章1~2節 1ヨハネ1:7 しかし、神が光の中におられるように、わたしたちも光の中を歩むなら、私たちは互いに交わりを保ち、御子イエスの血は全ての罪から私たちをきよめます。
36:54
July 21, 2019
2019年7月14日「神が灯火を守られる」マタイの福音書第5章13節〜16節 岩本遠億牧師
神が灯火を守られる マタイの福音書第5章13節〜16節 岩本遠億牧師 2019年7月14日 あなたがたは地の塩です。もし塩が塩気をなくしたら、何によって塩気を付けるのでしょうか。もう何の役にも立たず、外に投げ捨てられ、人々に踏みつけられるだけです。 あなたがたは世の光です。山の上にある町は隠れることができません。また、明かりをともして升の下に置いたりはしません。燭台の上に置きます。そうすれば、家にいるすべての人を照らします。 このように、あなたがたの光を人々の前で輝かせなさい。人々があなたがたの良い行いを見て、天におられるあなたがたの父をあがめるようになるためです。 ************************************ 「主イエスの愛の手が」作詞・作曲 岩本遠億 主イエスの愛の手が  この地を包む 一羽の雀さえ  主は 守られる 傷ついた葦を  折ることなく  ほの暗いほのお  消すことなく 主は地に造られる  神の国を この地に満たされる 神の国を ************************************** ○あなたがたは地の塩である。世の光である。 ×地の塩になれ。世の光になれ。 ×地の塩になるだろう。世の光になるだろう。 ×地の塩、世の光になるために、こうしろ。 誰に語られたのか? 幸いなるかな! 心(霊)の貧しい者 深い悲しみの中にある者 低められている者 義に飢え渇く者 憐れみ深い者 心の清い者 平和を造る者 義のために迫害されている者 ➔あなたがたは預言者と同じ者だ。神の言葉を託されている。 地の塩 死海沿岸=豊富な塩の産出地 庶民が使っていた塩:砂などを含む純度の低い塩 塩が塩気をなくす=砂や泥だけになってしまう         ➡︎塩としての働きができない 心の貧しさを知らない者、悲しみを知らない者、低められることを知らない者、神の救いを必要としない者、倒れている人を見ても何とも思わない者、清められることを求めなくなった者、平和を求めない者、神の義と共に生きることを望まない者。 聖書における塩の意味とは何か? ・全焼の捧げ物に不可欠のもの “主はモーセに言われた。「あなたは香料のナタフ香、シェヘレテ香、ヘルベナ香と純粋な乳香を取れ。これらは、それぞれ同じ量でなければならない。これをもって、調香の技法を凝らして調合された、塩気のある、きよい、聖なる香を作れ。」”               出エジプト記 30章34~35節 “穀物のささげ物はみな、塩で味をつけなさい。穀物のささげ物に、あなたの神の契約の塩を欠かしてはならない。あなたのどのささげ物も、塩をかけて献げなければならない。”                    レビ記 2章13節 “イスラエルの子らが主に献げる聖なる奉納物をみな、わたしは、あなたと、あなたとともにいる息子たちと娘たちに与えて、永遠の割り当てとする。それは、主の前にあって、あなたとあなたの子孫に対する永遠の塩の契約となる。」”            民数記 18章19節 “罪を除き終えたら、傷のない若い雄牛と、群れのうちの傷のない雄羊を献げる。それらを主の前に献げ、祭司たちがそれらの上に塩をまき、全焼のささげ物として主に献げる。” エゼキエル書 43章23~24節 全焼の捧げ物=神が民に臨む礼拝を意味する ➔塩がなければ、礼拝とならない üあなたがたがいるから、礼拝が全うされる。 ・あなたがたこそ、人と神を繋ぐ者だ。 “あなたがたは世の光です。山の上にある町は隠れることができません。また、明かりをともして升の下に置いたりはしません。燭台の上に置きます。そうすれば、家にいるすべての人を照らします。 このように、あなたがたの光を人々の前で輝かせなさい。人々があなたがたの良い行いを見て、天におられるあなたがたの父をあがめるようになるためです。” マタイの福音書 5章14~16節 ○あなたがたはランプの光だ ✕あなたがたは太陽だ ✕あなたがたは月だ ○暗闇を照らす光 どんなに弱い光でも、そこに神の臨在があることを示す。 油がなくなれば、消えてしまう 強風で消えてしまう ➔灯火を守られる神 “「見よ。わたしが支えるわたしのしもべ、わたしの心が喜ぶ、わたしの選んだ者。わたしは彼の上にわたしの霊を授け、彼は国々にさばきを行う。彼は叫ばず、言い争わず、通りでその声を聞かせない。傷んだ葦を折ることもなく、くすぶる灯芯を消すこともなく、真実をもってさばきを執り行う。衰えず、くじけることなく、ついには地にさばきを確立する。島々もそのおしえを待ち望む。」” イザヤ書 42章1~4節 “「人はみな、火によって塩気をつけられます。塩は良いものです。しかし、塩に塩気がなくなったら、あなたがたは何によってそれに味をつけるでしょうか。あなたがたは自分自身のうちに塩気を保ち、互いに平和に過ごしなさい。」” マルコの福音書 9章49~50節 “二人は話し合った。「道々お話しくださる間、私たちに聖書を説き明かしてくださる間、私たちの心は内で燃えていたではないか。」” ルカの福音書 24章32節 “私が、『主のことばは宣べ伝えない。もう御名によっては語らない』と思っても、主のことばは私の心のうちで、骨の中に閉じ込められて、燃えさかる火のようになり、私は内にしまっておくのに耐えられません。もうできません。” エレミヤ書 20章9節  “この方にはいのちがあった。このいのちは人の光であった。光は闇の中に輝いている。闇はこれに打ち勝たなかった。” ヨハネの福音書 1章4~5節 “イエスは再び人々に語られた。「わたしは世の光です。わたしに従う者は、決して闇の中を歩むことがなく、いのちの光を持ちます。」” ヨハネの福音書 8章12節 
42:35
July 14, 2019
2019年7月7日「アウトサイダーとして生きる」マタイの福音書第5章10節〜12節 岩本遠億牧師
アウトサイダーとして生きる マタイの福音書第5章10節〜12節 岩本遠億牧師 “義のために迫害されている者は幸いです。天の御国はその人たちのものだからです。わたしのために人々があなたがたをののしり、迫害し、ありもしないことで悪口を浴びせるとき、あなたがたは幸いです。喜びなさい。大いに喜びなさい。天においてあなたがたの報いは大きいのですから。あなたがたより前にいた預言者たちを、人々は同じように迫害したのです。”マタイの福音書 5章10~12節 「義のために迫害されている(されてきた)者は幸いです。天の御国はその人たちのものだからです。」 聖書における「義」 =関係の正しさ =神と人の関係の正しさ ➡︎誰でもキリストの内にあるなら、その人は新しく作られた者です。(IIコリント5:17) ➡︎この世の価値観、この世を支配する悪霊に従わない者に 神と人との正しい関係を憎む者=悪魔による妨害 ➡︎迫害 イエス・キリストが与えた義 =人々に神の子の尊厳に満たす ・病に苦しむ者たちに癒しを与える ・苦しめられている者たちから悪霊を追い出す ・罪人と呼ばれ、卑しめられている人々の友となる ・律法の硬直的遵守よりも、現実に苦しむ者を救う ・形式的礼拝ではなく、霊と真による礼拝 =新しい人としての実存 ➡︎この世の価値観、この世を支配する悪霊に従わない者に ➡︎神と人との正しい関係を憎む者=悪魔による妨害    =民を支配していた特権階級の腐敗を指弾 ➡︎ 十字架への道 天の御国は彼らのものだ ×死んでから天国に行ける ○神の支配は、彼らによってこの地にもたらされる=彼らこそが神の名代なのだ 「わたしが来たのは地上に平和をもたらすためだ、と思ってはいけません。わたしは、平和ではなく剣をもたらすために来ました。」マタイ10:34 迫害⬌戦い 一方的に批判される、攻撃される 人の罪を明らかにする神の愛と義を語るから。 「わたしのために人々があなたがたをののしり、迫害し、ありもしないことで悪口を浴びせるとき、あなたがたは幸いです。喜びなさい。大いに喜びなさい。天においてあなたがたの報いは大きいのですから。あなたがたより前にいた預言者たちを、人々は同じように迫害したのです。」 預言者=神の御心を知ることを許された者、神がご自身の思いを開示してくださる者 あなたがたに与えられるのは、預言者の祝福だ。 神ご自身が、あなたがたにその御心を知らせてくださる。神の友とされるのだ。 「わたしは、もはやあなたがたを僕とは呼びません。しもべなら、主人が何をするのかしらないからです。わたしは、あなたがたを友と呼びました。父から聞いたことを全て、あなたがたに知らせたからです。」ヨハネ15:15 ヨハネの福音書 17章11~23節 “わたしはもう世にいなくなります。彼らは世にいますが、わたしはあなたのもとに参ります。聖なる父よ、わたしに下さったあなたの御名によって、彼らをお守りください。わたしたちと同じように、彼らが一つになるためです。彼らとともにいたとき、わたしはあなたが下さったあなたの御名によって、彼らを守りました。わたしが彼らを保ったので、彼らのうちだれも滅びた者はなく、ただ滅びの子が滅びました。それは、聖書が成就するためでした。わたしは今、あなたのもとに参ります。世にあってこれらのことを話しているのは、わたしの喜びが彼らのうちに満ちあふれるためです。わたしは彼らにあなたのみことばを与えました。世は彼らを憎みました。わたしがこの世のものでないように、彼らもこの世のものではないからです。わたしがお願いすることは、あなたが彼らをこの世から取り去ることではなく、悪い者から守ってくださることです。わたしがこの世のものでないように、彼らもこの世のものではありません。真理によって彼らを聖別してください。あなたのみことばは真理です。あなたがわたしを世に遣わされたように、わたしも彼らを世に遣わしました。わたしは彼らのため、わたし自身を聖別します。彼ら自身も真理によって聖別されるためです。わたしは、ただこの人々のためだけでなく、彼らのことばによってわたしを信じる人々のためにも、お願いします。父よ。あなたがわたしのうちにおられ、わたしがあなたのうちにいるように、すべての人を一つにしてください。彼らもわたしたちのうちにいるようにしてください。あなたがわたしを遣わされたことを、世が信じるようになるためです。またわたしは、あなたが下さった栄光を彼らに与えました。わたしたちが一つであるように、彼らも一つになるためです。わたしは彼らのうちにいて、あなたはわたしのうちにおられます。彼らが完全に一つになるためです。また、あなたがわたしを遣わされたことと、わたしを愛されたように彼らも愛されたことを、世が知るためです。” ヨハネの福音書 14章18~19節 “わたしは、あなたがたを捨てて孤児にはしません。あなたがたのところに戻って来ます。あと少しで、世はもうわたしを見なくなります。しかし、あなたがたはわたしを見ます。わたしが生き、あなたがたも生きることになるからです。” ヨハネの福音書 14章27節 “わたしはあなたがたに平安を残します。わたしの平安を与えます。わたしは、世が与えるのと同じようには与えません。あなたがたは心を騒がせてはなりません。ひるんではなりません。”
24:35
July 8, 2019
2019年6月30日「神が造る平和に生きる」マタイの福音書第5章9節 岩本遠億牧師
「神が造る平和に生きる」マタイの福音書第5章9節 岩本遠億牧師 「平和を造る者は幸いです。その人たちは神の子と呼ばれるからです。」 平和を造る者=天地の創造者である神の別名 「主権と恐れは神のもの。神はその高い所で平和をつくられる。」ヨブ記25:2 「主は御民に、主にある敬虔な人たちに平和を告げられます。」詩篇85:8 「主よ。あなたは私たちのために平和を備えてくださいます。」イザヤ書26:12 「私は光を造り出し、闇を創造し、平和をつくり、わざわいを創造する。わたしは主、これらすべてを行う者。」イザヤ書45:7 「わたしが来たのは地上に平和をもたらすためだ、と思ってはいけません。わたしは、平和ではなく剣をもたらすために来ました。」マタイ10:34 キリストは平和を造るのか? 分裂をもたらすのか? キリストが平和を造る方法・・・個人ベース→草の根の働き 「キリストこそ私たちの平和です。」エペソ2:14 ・平和と争いが混交する状態が長く続く ・キリスト者がキリストの平和に生きることの意味を知ることの重要性 平和を造る⇔平和を壊す 悪魔の囁き→「私は正しい」→平和を壊す 「私は正しい」との主張=高慢の根→否定される人が生み出される=愛の否定 「私は正しい」との主張の対立→相互否定=争い キリストは自らの正しさを主張しなかった。→十字架刑→神と人との平和の実現 「そこで大祭司が立ち上がり、イエスに言った。『何も答えないのか。この人たちがおまえに不利な証言をしているのは、どういうことか。』しかし、イエスは黙っておられた。」マタイ26:62-63 「ピラトはイエスに言った。『あんなにも、あなたに不利な証言をしているのが聞こえないのか。』それでもイエスは、どのような訴えに対しても一言もお答えにならなかった。それには総督も非常に驚いた。」マタイ27:12-14 ルカの福音書 23章13~15節 ピラトは、祭司長たちと議員たち、そして民衆を呼び集め、こう言った。「おまえたちはこの人を、民衆を惑わす者として私のところに連れて来た。私がおまえたちの前で取り調べたところ、おまえたちが訴えているような罪は何も見つからなかった。ヘロデも同様だった。私たちにこの人を送り返して来たのだから。見なさい。この人は死に値することを何もしていない。 「自分の敵を愛し、自分を迫害する者のために祈れ。」マタイ5:44 →自分の正しさを超える愛と祈り  「『どくろ』と呼ばれている場所に来ると、そこで彼らはイエスを十字架につけた。また犯罪人たちを、一人は右に、もう一人は左に十字架につけた。そのとき、イエスはこう言われた。『父よ、彼らをお赦しください。彼らは、自分が何をしているのかが分かっていないのです。』彼らはイエスの衣を分けるために、くじを引いた。」ルカの福音書 23章33〜34節 ローマ人への手紙5:1 「こうして、私たちは(キリストの)信仰によって義と認められたので、私たちの主イエス・キリストによって神と平和を持っています=神との間に平和があります。 ローマ人への手紙8:1−4「こういうわけで、今や、キリスト・イエスにある者が罪に定められることは決してありません。なぜなら、キリスト・イエスにあるいのちの御霊の律法が、罪と死の律法からあなたを解放したからです。肉によって弱くなったため、律法にできなくなったことを、神はしてくださいました。神はご自分の御子を、罪深い肉と同じような形で、罪のきよめのために遣わし、肉において罪を処罰されたのです。それは、肉に従わず御霊に従って歩む私たちのうちに、律法の要求が満たされるためなのです。」 ローマ人への手紙8「11 イエスを死者の中からよみがえらせた方の御霊が、あなたがたのうちに住んでおられるなら、キリストを死者の中からよみがえらせた方は、あなたがたのうちに住んでおられるご自分の御霊によって、あなたがたの死ぬべきからだも生かしてくださいます。 14 神の御霊に導かれる人はみな、神の子どもです。15 あなたがたは、人を再び恐怖に陥れる、奴隷の霊を受けたのではなく、子とする御霊を受けたのです。この御霊によって、私たちは「アバ、父」と叫びます。」 エペソ人への手紙 2章14~19節「実に、キリストこそ私たちの平和です。キリストは私たち二つのものを一つにし、ご自分の肉において、隔ての壁である敵意を打ち壊し、様々な規定から成る戒めの律法を廃棄されました。こうしてキリストは、この二つをご自分において新しい一人の人に造り上げて平和を実現し、二つのものを一つのからだとして、十字架によって神と和解させ、敵意を十字架によって滅ぼされました。 また、キリストは来て、遠くにいたあなたがたに平和を、また近くにいた人々にも平和を、福音として伝えられました。このキリストを通して、私たち二つのものが、一つの御霊によって御父に近づくことができるのです。こういうわけで、あなたがたは、もはや他国人でも寄留者でもなく、聖徒たちと同じ国の民であり、神の家族なのです。」 十字架のキリストに出会う →私たち自身が自分の正しさを超える愛に生きる者とされる キリストの十字架の血を注がれる →神様との間に完全な平和が与えられる 「自分に関することについては、できる限り、全ての人と平和を保ちなさい。」ローマ12:18 コロサイ人への手紙 3章12~17節「ですから、あなたがたは神に選ばれた者、聖なる者、愛されている者として、深い慈愛の心、親切、謙遜、柔和、寛容を着なさい。互いに忍耐し合い、だれかがほかの人に不満を抱いたとしても、互いに赦し合いなさい。主があなたがたを赦してくださったように、あなたがたもそうしなさい。そして、これらすべての上に、愛を着けなさい。愛は結びの帯として完全です。 キリストの平和が、あなたがたの心を支配するようにしなさい。そのために、あなたがたも召されて一つのからだとなったのです。また、感謝の心を持つ人になりなさい。キリストのことばが、あなたがたのうちに豊かに住むようにしなさい。知恵を尽くして互いに教え、忠告し合い、詩と賛美と霊の歌により、感謝をもって心から神に向かって歌いなさい。ことばであれ行いであれ、何かをするときには、主イエスによって父なる神に感謝し、すべてを主イエスの名において行いなさい。」 平和を造る人は幸いです。その人たちは神の子と呼ばれるからです。 平和を造る働き ・キリストの平和に生きる =自分の正しさを超える愛に生かされる ・キリストの平和(神との和解)を告げ知らせる
34:16
June 30, 2019
2019年6月23日「神は直接の関係を与える」マタイの福音書第5章8節 岩本遠億牧師
「心の清い者は幸いです。その人たちは神を見るからです。」マタイの福音書第5章8節 誤解:自分の清い生活     →清くなる     →神を見ることが許される聖者になる 清い:(ギ)カサロス (へ)タホール 清い動物⇔汚れた動物 清い体⇔生理的な汚れ 祭儀上の清さ⇔祭儀上の汚れ 例:死に触れる 純粋な(純金) 道徳的清さ(旧約聖書ではあまり多くない) 清める方法=湧き水(河川の水)、火、血、雌牛の灰を加えた水 神が定めた方法によらずには清くならない 当時のパリサイ人たち: 神経質なほどに律法上の清さを問題にしていた キリスト: 体の清さ、祭儀上の清さは問題にしない。 心の清さを問題にした。 マルコの福音書1:40 さて、ツァラアトに冒された人がイエスのもとにきてひざまずいて懇願した。「お心一つで私を清くすることがおできになります。」 イエスは深く憐れみ、手を伸ばして彼にさわり(→イエスの体は汚れる)、「わたしの心だ。きよくなれ」と言われた。するとツァラアトが消えて、その人はきよくなった。 イエスによる律法学者、パリサイ人への糾弾 マタイの福音書 23:25わざわいだ。偽善の律法学者、パリサイ人。おまえたちは、杯や皿の外側はきよめるが、その中は強奪と放縦で満ちている。 23:26目の見えないパリサイ人。まず、杯の内側をきよめよ。そうすれば、外側もきよくなる。 23:27わざわいだ。偽善の律法学者、パリサイ人たち。おまえたちは白く塗った墓のようなものだ。外側は美しく見えても、内側は、死人の骨や、あらゆる汚れでいっぱいだ。 23:28同じように、おまえたちも、外側は人に正しく見えても、内側は偽善と不法でいっぱいだ。 神の方法によらなければ、清められない。 神が清いと宣言されれば、清い⇔私たちの思い キリストが私たちの心を清める方法:両者は一つの実体 ・キリストの言葉(=神の火) ・キリストの十字架の血 私たちを清めるキリストの言葉 ・「あなたがたは、わたしがあなたがたに話したことばによって、すでに清いのです。」 ヨハネの福音書15:2 ・「二人は話し合った。『道々お話しくださる間、私たちに聖書を解き明かしてくださる間、私たちの心は内に燃えていたではないか。』」ルカの福音書24:32 ・「炎のような舌が分かれて現れ、一人一人の上にとどまった。すると、皆が聖霊に満たされ、御霊が語らせるままに、他国のいろいろな言葉で話し始めた。」使徒の働き2:3−4 私たちを清めるキリストの十字架の血 ・「9:11しかしキリストは、すでに成就したすばらしい事がらの大祭司として来られ、手で造った物でない、言い替えれば、この造られた物とは違った、さらに偉大な、さらに完全な幕屋を通り、 9:12また、やぎと子牛との血によってではなく、ご自分の血によって、ただ一度だけ聖所にはいり、永遠の贖いを成し遂げられました。  9:13雄やぎや雄牛の血、若い雌牛の灰を汚れた人々に振りかけると、それがきよめの働きをして肉体をきよいものにするとすれば、 9:14まして、キリストが傷のないご自身を、とこしえの御霊によって神におささげになったその血は、どんなにか私たちの良心をきよめて死んだ行ないから離れさせ、生ける神に仕える者とすることでしょう。」ヘブル人への手紙9:11-14 ・「10:19こういうわけで、兄弟たち。私たちは、イエスの血によって、大胆にまことの聖所にはいることができます。 10:20イエスはご自分の肉体という垂れ幕を通して、私たちのために、この新しい生ける道を開いてくださいました。  10:21また私たちには、神の家を治める、この偉大な祭司がおられるのですから。 10:22心に血を振りかけられて、邪悪な良心をきよめられ、からだをきよい水で洗われ、全き信仰をもって、真心から神に近づこうではありませんか。 」ヘブル人への手紙10:19-22 神を見る=神との直接の関係を与えられる 旧約聖書で多用される表現:「神の顔」「主の顔」 ・『主があなたを祝福し、あなたを守られますように。主が御顔をあなたに照らし、あなたを恵まれますように。主が御顔をあなたに向け、あなたに平安を与えられますように。』民数記6:24-26 ×清められて、神の顔を見ることができるような境地に達する ◯神様がみ顔を私たち一人ひとりに向けてくださる。私たちも神様のみ顔を仰ぐ 「13:12今、私たちは鏡にぼんやり映るものを見ていますが、その時には顔と顔とを合わせて見ることになります。今、私は一部分しか知りませんが、その時には、私が完全に知られているのと同じように、私も完全に知ることになります。」コリント人への手紙第一13:12
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June 23, 2019
2019年6月9日「神に出会うところ」マタイの福音書第5章7節 岩本遠億牧師
神に出会うところ マタイの福音書第5章7節 岩本遠億牧師 2019年6月9日 「憐れみ深い者は幸いです。その人たちは憐れみを受けるからです。」マタイの福音書第5章7節 憐れみ ギリシャ語 エレオス 困窮している人に対する親切や愛 具体的行動をもって、必要を満たす行為 エレオス=ヘブライ語 ラハミーム+へセッド   ラハミーム   「胎」を表わす言葉からの派生語   →胎の子に対する母親の思い   →はらわたの愛=体の一部として愛する 「女が自分の乳飲み子を忘れようか。自分の胎の子を憐れまないだろうか。たとい、女たちが忘れても、このわたしは忘れない」(イザヤ49: 15) 「父がその子供を憐れむように、主は、ご自分を恐れるものを憐れまれる」(詩篇103:13) へセッド   不変の愛   =契約に基づく愛   =神がご自分を指して誓われた決して変更されることがない愛 「わたしは決してあなたを離れず、捨てない」申命記31:6 マザー・テレサの祈り 「最愛の主よ。病んでいる人は、あなたの大切な人。今日も、いつも、病人ひとりひとりのうちに、あなたを見ることができますように。看病しながら、あなたに仕えることができますように。 イライラと短気な人、気難しい人、理屈に合わないことを言う人、人の目には好ましく思えないこうした人の中にもおられるあなたを見分けて、こう言えますように。『わが患者イエス、あなたに仕えることはとても嬉しい。』 主よ、このように見る信仰を与えてください。そうしたら、仕事は少しも単調ではなくなるでしょう。貧しく苦しんでいる人々の気まぐれを、温かくユーモアのうちに受け止め、その人々の願い事を満たすことに絶え間ない喜びを見出す者となるでしょう。 愛する病人さん、あなたがキリストを現しているとなれば、あなたは、二重に親愛な方となります。あなたをお世話することが許されるのは、わたしにとって特別な恩恵です。・・・ 神であるお方よ、あなたはイエス。わたしのお世話する患者のなかにおられます。どうかわたしに対しても、ひとりひとりの患者イエスが忍耐深いイエスとなって、わたしの数々の落ち度は大目に忍び、あなたの大切な一人一人の病人のうちにおられるあなたを愛し、あなたに仕えようとしているこの志だけを見取ってくださるようにしてください。主よ、今もいつも、わたしの信仰を強め、深めてください。わたしの努力と仕事を祝してください。」(『マザー・テレサのことば』半田基子訳、女子パウロ会より) マタイの福音書 25章31~40節 “人の子は、その栄光を帯びてすべての御使いたちを伴って来るとき、その栄光の座に着きます。そして、すべての国の人々が御前に集められます。人の子は、羊飼いが羊をやぎからより分けるように彼らをより分け、羊を自分の右に、やぎを左に置きます。 それから王は右にいる者たちに言います。『さあ、わたしの父に祝福された人たち。世界の基が据えられたときから、あなたがたのために備えられていた御国を受け継ぎなさい。あなたがたはわたしが空腹であったときに食べ物を与え、渇いていたときに飲ませ、旅人であったときに宿を貸し、わたしが裸のときに服を着せ、病気をしたときに見舞い、牢にいたときに訪ねてくれたからです。』 すると、その正しい人たちは答えます。『主よ。いつ私たちはあなたが空腹なのを見て食べさせ、渇いているのを見て飲ませて差し上げたでしょうか。いつ、旅人であるのを見て宿を貸し、裸なのを見て着せて差し上げたでしょうか。いつ私たちは、あなたが病気をしたり牢におられたりするのを見て、お訪ねしたでしょうか。』 すると、王は彼らに答えます。『まことに、あなたがたに言います。あなたがたが、これらのわたしの兄弟たち、それも最も小さい者たちの一人にしたことは、わたしにしたのです。』” 聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会 マルコの福音書 9章41節 “まことに、あなたがたに言います。あなたがたがキリストに属する者だということで、あなたがたに一杯の水を飲ませてくれる人は、決して報いを失うことがありません。” 聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会
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June 9, 2019
2019年6月2日 「救いは与えられる」マタイの福音書第5章6節 岩本遠億牧師
「涙も虹となる」 作詞・作曲 岩本遠億 主イエスの 愛の御手に 全てを 委ね 歩こう 自分を 見ずに イエスの十字架 見あげよう 共に笑い 共に泣く主 共に生きて 見捨てず 涙も 虹となる イエスの光 受けて ************ マタイの福音書第5章6節 「義に飢え渇く者は幸いです。その人たちは満ち足りるからです。」 義とは何か? ギリシャ語 dikaiosune 1.公正、正義 2.人と人との関係の正しさ 神が人に与える義=神との関係の正しさ         =父と子の正しい関係 ヘブライ語 tsedeq、tsedaqah 神の約束の民に対する処遇=救済、チャリティ 神の義=神の救い 義に飢え渇く 1.卑しめられ、苦しめられている者の神様への叫び 2.神様からの断絶の苦しみ、虚しさからの叫び 彼らは満たされる=お腹一杯になる 義で満たされる =神様からの救いでお腹一杯になる =神様との正しい関係でお腹一杯になる 神様しか満たすことができない義 ×自分の義 神よ。私の救いの神よ。血の罪から私を救い出してください。そうすれば、私の舌はあなたの義を高らかに歌うでしょう。(詩篇51:14) 忠臣ウリヤの妻バテシェバを奪い、ウリヤを殺害したダビデ王 預言者ナタンによる叱責 単なる正義の実現、行使なら、ダビデは断罪、死刑 罪の滅びからの救いの嘆願 →神の義の発動=神による赦しと救い=神の義 神の義 vs 自分の義 自分の義の追求  宮澤賢治 『銀河鉄道の夜』 貧しく、父親がいない家に育つジョバンニ。 病気の母の看病をしながらアルバイト。 弱い立場の彼は、学校で友だちにいじめられる。 親友のカンパネルラも彼を助けることができない。 ある日、彼は不思議な経験。銀河を駆け抜ける銀河鉄道に。前の席には親友のカンパネルラ。 二人は北十字星(白鳥座)から南十字星を越えてさそり座に向かう列車に乗り降りする人々との会話をとおして、人生の意味と死の意味について考えていく。北十字星と南十字星はキリスト教的な死と救いの考え方を表す。 タイタニック号の沈没で命を落としたクリスチャンたちは、南十字星で列車を降り、イエス様をとおして天国に行く。しかし、ジョバンニとカンパネルラの二人だけは列車を降りず、さらに、さそり座にまで向かって行こうとする。 蠍座のアンタレスに憧れるカンパネルラ 「自分も赤い火で焼かれても人を助けられる人間になりたい」 仏教徒でありながらキリスト教も学んだ賢治が、キリスト教と自分の考えを鋭く対比させている。賢治は「自分が友のために死ぬことが救いではないのか」と主張。 カンパネルラはさそり座の手前で姿を消し、ジョバンニは一人取り残され、そこで銀河鉄道の旅は終わる。ジョバンニは目を覚ます。町では大変なことが起こっていた。カンパネルラが友だちを助けるために死んでしまった。 ジョバンニを助けることができず、内心苦しんでいたカンパネルラが、溺れる子供を助けるために、死んだ。十字架を求めず、人を助けることができる人間になれることが彼にとっての救い。 そしてそのようにして彼は自分で自分の救いを手に入れたというのが賢治の主張=自己犠牲による救い ×自己義認のための自己犠牲 ダビデは、人のために死ねば、姦淫と殺人の罪から救われたのか?人のために死んでも、自分の罪は残る。 十字架に架けられたイエス・キリスト ×自己義認のための自己犠牲 ◯罪のないキリストが全人類の罪の贖いのために命を捨てた =究極の神の義 「しかし、今や、律法とは関わりなく、律法と預言者たちの書によって証しされて、神の義が示されました。」ローマ3:21 「神は、罪を知らない方を私たちのために罪とされました。それは、私たちがこの方にあって神の義となるためです。」第二コリント5:21 詩篇17:15 「しかし、私は、義のうちに御顔を見、目覚める時、御姿に満ち足りるでしょう。」 第二コリント3:17-18 「主は御霊です。そして、主の御霊がおられるところには自由があります。私たちはみな、覆いを取りのけられた顔に、鏡のように主の栄光を映しつつ、栄光から栄光へと、主と同じかたちに姿を変えられていきます。これは、まさに、御霊なる主の働きによるのです。」
31:45
June 2, 2019
2019年5月19日「神と共に悲しむ」マタイの福音書第5章4節 岩本遠億牧師
「神と共に悲しむ」 マタイの福音書第5章4節 岩本遠億牧師 「悲しむ者は幸いです。その人たちは慰められる(未来)からです。」マタイの福音書5:4 マカリオイ:何と幸いなことか! ホイ ペントーンテス:悼む者たち            最も深い悲しみにある者たち 慰める パラカレオー  :傍に呼ぶ 聖霊=慰め主=パラクレートス 何と幸いなことか!死んだ者と共に、半身がもぎ取られた悲しみの中にある者たち!その人たちを神が呼び寄せてくださるから。聖霊がやって来てくださるから。 ペンテオー(ギリシャ語)=アバル(ヘブライ語) 愛する者、愛する母国を失い、悲しみ慟哭する エズラ記10:6 「エズラは、神の宮の前を去って、エルヤシブの子ヨハナンの部屋に行った。そこに行って、パンも食べず、水も飲まずにいた。捕囚から帰って来た人々の不信の罪を嘆き悲しんだ(アバル)のである。」 紀元前458年、ペルシア王アルタシャスタの治世第7年目、エズラは王の許可を得てバビロンからエルサレムに帰る(「エズラ記」7:1、7:6、7:8、7:11-13)。およそ5000人の人々が帰還 しかし、イスラエルの民や祭司やレビ人たちが異国の妻をめとっている事が発覚。 エズラは、イスラエルの民が継続的に偶像崇拝の中にあること、滅んでしまうことを嘆き悲しむ。 そして、エズラは異国の妻たちを追い出すよう民に命じたが、すぐには解決せず3ヶ月の期間を要した(「エズラ記」10:1-19)。 そもそも、イスラエル滅亡の原因=異国の宗教(淫行と子殺しを強要する悪魔崇拝)の崇拝 バビロン捕囚から帰還後、イスラエル民族の純粋性回復が絶対条件 ペンテオー(ギリシャ語)=アバル(ヘブライ語) 愛する者、愛する母国を失い、悲しみ慟哭する ネヘミヤ記1章4節 「このことばを聞いた時、私は座り込んで泣き、数日の間嘆き悲しみ(アバル)、断食して天の神の前に祈った。」 「私は今、あなたのしもべイスラエルの子らのために、昼も夜も御前に祈り、私たちがあなたに対して犯した、イスラエルの子らの罪を告白しています。まことに、私も私の父の家も罪を犯しました。私たちは、あなたに対して非常に悪いことをして、あなたのしもべモーセにお命じになった命令も掟も定めも守りませんでした。」1:7-8 この祈りによって歴史が動いた。 ペルシャ王から暗い顔の理由を尋ねられる →「エルサレムの城壁が崩されたまま、同胞が苦しんでいる。城壁を再建に行きたい。」 →ユダヤ総督に任命 →困難な中、城壁再建 →第二神殿時代の幕開け 失われた者たち、罪の中にある者たちと一つの運命の中にある →深い悲しみ、慟哭 そこに聖霊がやって来られる。私たちを引き寄せてくださる。 聖霊の慰めを受け、主イエスの働きに与る者とされる 「天におられる私たちの父よ。」 「私たちの日毎の糧を、今日与えて下さい。」 「私たちの罪を赦して下さい。私たちも私たちに罪を犯すものを赦しました。」 「私たちを試みに会わせず、悪より救い出して下さい。」 インマヌエル!  神が私たちと共におられる。         ×神が私と共におられる。 「彼の不正な利得の咎のために、わたしは怒った。わたしは顔を隠して彼を打ち、そして怒った。しかし彼はなお背いて、自分の思う道を行った。  彼の道を見たが、それでもわたしは彼を癒やす。わたしは彼を導いて、彼とその嘆き悲しむ者たちに、慰めを報いる。  わたしは唇の実を創造する者。平安あれ。遠くの者にも近くの者にも平安あれ。わたしは彼を癒やす。──主は言われる──」 イザヤ書 57章17~19節
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May 25, 2019
2019年5月12日「心の欠けを知る時」 マタイの福音書第5章1節〜3節 岩本遠億牧師
心の欠けを知る時 マタイの福音書第5章1節〜3節 岩本遠億牧師 2019年5月12日 “その群衆を見て、イエスは山に登られた。そして腰を下ろされると、みもとに弟子たちが来た。 そこでイエスは口を開き、彼らに教え始められた。 「心の貧しい者は幸いです。天の御国はその人たちのものだからです。」” マタイの福音書 5章1~3節 聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会 “キリストは、肉体をもって生きている間、自分を死から救い出すことができる方に向かって、大きな叫び声と涙をもって祈りと願いをささげ、その敬虔のゆえに聞き入れられました。 キリストは御子であられるのに、お受けになった様々な苦しみによって従順を学び、完全な者とされ、ご自分に従うすべての人にとって永遠の救いの源となり、メルキゼデクの例に倣い、神によって大祭司と呼ばれました。” ヘブル人への手紙 5章7~10節 聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会 “自分は正しいと確信していて、ほかの人々を見下している人たちに、イエスはこのようなたとえを話された。 「二人の人が祈るために宮に上って行った。一人はパリサイ人で、もう一人は取税人であった。 パリサイ人は立って、心の中でこんな祈りをした。『神よ。私がほかの人たちのように、奪い取る者、不正な者、姦淫する者でないこと、あるいは、この取税人のようでないことを感謝します。 私は週に二度断食し、自分が得ているすべてのものから、十分の一を献げております。』 一方、取税人は遠く離れて立ち、目を天に向けようともせず、自分の胸をたたいて言った。『神様、罪人の私をあわれんでください。』 あなたがたに言いますが、義と認められて家に帰ったのは、あのパリサイ人ではなく、この人です。だれでも自分を高くする者は低くされ、自分を低くする者は高くされるのです。」” ルカの福音書 18章9~14節 聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会 “それからイエスは、レビの家で食卓に着かれた。取税人たちや罪人たちも大勢、イエスや弟子たちとともに食卓に着いていた。大勢の人々がいて、イエスに従っていたのである。 パリサイ派の律法学者たちは、イエスが罪人や取税人たちと一緒に食事をしているのを見て、弟子たちに言った。「なぜ、あの人は取税人や罪人たちと一緒に食事をするのですか。」 これを聞いて、イエスは彼らにこう言われた。「医者を必要とするのは、丈夫な人ではなく病人です。わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためです。」” マルコの福音書 2章15~17節 聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会 “「見よ。わたしが支えるわたしのしもべ、わたしの心が喜ぶ、わたしの選んだ者。わたしは彼の上にわたしの霊を授け、彼は国々にさばきを行う。 彼は叫ばず、言い争わず、通りでその声を聞かせない。 傷んだ葦を折ることもなく、くすぶる灯芯を消すこともなく、真実をもってさばきを執り行う。 衰えず、くじけることなく、ついには地にさばきを確立する。島々もそのおしえを待ち望む。」” イザヤ書 42章1~4節 聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会
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May 12, 2019
2019年5月5日「本当の自分を知る」マタイの福音書第4章18節〜25節 岩本遠億牧師
2019年5月5日「本当の自分を知る」マタイの福音書第4章18節〜25節 岩本遠億牧師 イエスはガリラヤ湖のほとりを歩いておられたとき、二人の兄弟、ペテロと呼ばれるシモンとその兄弟アンデレが、湖で網を打っているのをご覧になった。彼らは漁師であった。 イエスは彼らに言われた。「わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしてあげよう。」 彼らはすぐに網を捨ててイエスに従った。 イエスはそこから進んで行き、別の二人の兄弟、ゼベダイの子ヤコブとその兄弟ヨハネが、父ゼベダイと一緒に舟の中で網を繕っているのを見ると、二人をお呼びになった。 彼らはすぐに舟と父親を残してイエスに従った。 イエスはガリラヤ全域を巡って会堂で教え、御国の福音を宣べ伝え、民の中のあらゆる病、あらゆるわずらいを癒やされた。 イエスの評判はシリア全域に広まった。それで人々は様々な病や痛みに苦しむ人、悪霊につかれた人、てんかんの人、中風の人など病人たちをみな、みもとに連れて来た。イエスは彼らを癒やされた。 こうして大勢の群衆が、ガリラヤ、デカポリス、エルサレム、ユダヤ、およびヨルダンの川向こうから来て、イエスに従った。” マタイの福音書 4章18~25節 聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会 “そこに一人の律法学者が来て言った。「先生。あなたがどこに行かれても、私はついて行きます。」 イエスは彼に言われた。「狐には穴があり、空の鳥には巣があるが、人の子には枕するところもありません。」 また、別の一人の弟子がイエスに言った。「主よ。まず行って父を葬ることをお許しください。」 ところが、イエスは彼に言われた。「わたしに従って来なさい。死人たちに、彼ら自身の死人たちを葬らせなさい。」” マタイの福音書 8章19~22節 聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会 “シモン・ペテロがイエスに言った。「主よ、どこにおいでになるのですか。」イエスは答えられた。「わたしが行くところに、あなたは今ついて来ることができません。しかし後にはついて来ます。」 ペテロはイエスに言った。「主よ、なぜ今ついて行けないのですか。あなたのためなら、いのちも捨てます。」 イエスは答えられた。「わたしのためにいのちも捨てるのですか。まことに、まことに、あなたに言います。鶏が鳴くまでに、あなたは三度わたしを知らないと言います。」” ヨハネの福音書 13章36~38節 聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会 “イエスはペテロに言われた。「わたしが来るときまで彼が生きるように、わたしが望んだとしても、あなたに何の関わりがありますか。あなたは、わたしに従い