キリストの平和教会

2018年11月25日「キリストの火に燃やされて」ヘブル人への手紙第12章25節〜29節 岩本遠億牧師

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2019年9月15日「私たちを完成する愛」マタイの福音書第5章43節〜48節
『あなたの隣人を愛し、あなたの敵を憎め』と言われていたのを、あなたがたは聞いています。しかし、わたしはあなたがたに言います。自分の敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい。天におられるあなたがたの父の子どもになるためです。父はご自分の太陽を悪人にも善人にも昇らせ、正しい者にも正しくない者にも雨を降らせてくださるからです。自分を愛してくれる人を愛したとしても、あなたがたに何の報いがあるでしょうか。取税人でも同じことをしているではありませんか。また、自分の兄弟にだけあいさつしたとしても、どれだけまさったことをしたことになるでしょうか。異邦人でも同じことをしているではありませんか。ですから、あなたがたの天の父が完全であるように、完全でありなさい。マタイの福音書 5章43~48節 意志によってコントロールできる行為と できない行為 ○食べる、歩く、走る ✕失神する、躓く、目覚める、老いる 「完全である」「敵を愛する」「迫害する者のために祈る」 は自分でコントロールできるか? 意志によってコントロールできる行為の命令形 →命令の意味 意志によってコントロールできない行為の命令形 →人の場合、願いや呪い 「雨、雨、降れ、降れ」・・・降るかどうか分からない 「明日天気にな〜れ」・・・天気になるかならないか分からない 全能の神による命令→必ず実現する 「あなたがたの天の父が完全であられるよう、あなたがたも完全であれ!」→必ず完全になる 「自分の敵を愛し、自分を迫害する者のために祈れ。天におられるあなたがたの父の子どもになるためです。」 自分を迫害する者のために何度祈れば良いのか? 1回か?10回か?100回か? 99回は祈れたが、1回は祈れなかった人。 99回は祈れたなかったが、1回祈れた人。 どちらが神の子になれるのか? 昨日は祈れたが、今日は祈れなかった人は神の子になれるのか?                    ↑    根本的な前提と理解の誤り 人間の祈りという行為によっては神の子になれない 「天におられるあなたがたの父の子どもになるためです。」 前提:あなたがたはこの方の子供である 天におられるあなたがたの父は、敵を愛し、迫害する者のために祈る愛の方だ。愛そのものだ。あなたがたはこの愛に満たされ、父に似た者となる。 天の父はどのようなお方か? 「父は、ご自分の太陽を悪人にも善人にも昇らせ、正しい者にも正しくない者にも雨を降らせてくださるからです。」 父なる神の愛=良し悪しを超えた愛            感情を超えた愛 命の根源 人間の愛・・・自分の都合によって左右される 父の本質である「この愛」に満たされ、この愛が君たちの内面を支配するようになる →「この愛」が、君たちの中で敵を愛し、迫害する者のために祈るようになる。 主イエスは、これをご自分の生涯において実証なさった。 主イエスは、ご自分を十字架に釘付けする者たちのために祈り続けられた。主イエスの中に満ちていた「この愛」が十字架の苦しみにおいて自己を現した。 「あなたがたの天の父が完全であられるように、あなたがたも完全であれ。」 自分の祈りという行為によって完全となるのではない。自分の愛の行為が自分を完全にするのでもない。 父なる神様の中に満ち満ちていた愛という実体、すなわち、父なる神様ご自身が、私たちの中に入ってきて、私たちを完全な者とする。 私たちが祈り得ない祈りを、聖霊が私たちの中で祈ってくださる。 神様ご自身がそうすると約束。 「同じように御霊も、弱い私たちを助けてくださいます。私たちは、何をどう祈ったら良いか分からないのですが、御霊ご自身が、言葉にならない呻きを持って、とりなしてくださるのです。」ローマ8:26 初代教会時代の伝道者ステパノ 最初の殉教者、この門外で殉教 神殿礼拝主義を否定 神がお住みになるのは、人である。 人こそ神殿である。 「天が開いて、人の子が神の右に立っておられるのが見える」 →人々は殺到して、ステパノを石打ちにして殺した。 こうして彼らがステパノに石を投げつけていると、ステパノは主を呼んで言った。「主イエスよ、私の霊を受けてください。」そして、ひざまずいて大声で叫んだ。「主よ、この罪を彼らに負わせないでください。」こう言って、彼は眠りについた。 主イエスの十字架の祈り 「父よ。彼らをお赦しください。彼らは自分で何をしているのか分からないのです。」 主イエスの御霊ご自身がステパノの中にいて、ステパノを主イエスに似た者とした。 私たちの祈り=聖霊に満たしてください。聖霊よ。私たちを満たし、私たちの内側で、私たちの祈り得ない祈りを祈ってください。 第二コリント3:17-18 「主は御霊です。そして、主の御霊がおられるところには自由があります。私たちはみな、覆いを取り除かれた顔に、鏡のように主の栄光を映しつつ、栄光から栄光へと、主と同じかたちに姿を変えられていきます。これはまさに、御霊なる主の働きによるのです。」
26:27
September 15, 2019
2019年9月8日「卑しめられることを恐るな」マタイの福音書第5章38節〜48節 岩本遠億
卑しめられることを恐るな マタイの福音書第5章38節〜42節 岩本遠億牧師 2019年9月8日 『目には目を、歯には歯を』と言われていたのを、あなたがたは聞いています。しかし、わたしはあなたがたに言います。悪い者に手向かってはいけません。あなたの右の頬を打つ者には左の頬も向けなさい。あなたを告訴して下着を取ろうとする者には、上着も取らせなさい。あなたに一ミリオン行くように強いる者がいれば、一緒に二ミリオン行きなさい。求める者には与えなさい。借りようとする者に背を向けてはいけません。マタイの福音書 5章38~42節 「目には目を、歯には歯を」 同態復讐法:復讐合戦を食い止める法的知恵=倍返しの禁止 当時すでに金銭賠償が行われていた 右の頬を打つ 右手で相手を打つ場合、普通は左頬を打つ 右の頬を打つ=右手の甲で打つ       =相手に対する侮辱を表す 強いて1ミリオン(1500m)行かせる =征服者による強制徴用→強い屈辱感、憎しみ ×相手に対する侮辱行為や、強制徴用を認めているわけではない。 当時、下着は複数枚持っていたが、上着は一枚だけ。上着は掛け毛布ともなった。→貧しい者にとっては唯一の財産 上着を借金の質として取っても、夕方には返さなければならないと規定されていた。 ・侮辱された時、自分の持ち物を取られた時の屈辱感や怒りがあなたの行動を支配してはならない。 ローマ人への手紙 12章18~20節 自分に関することについては、できる限り、すべての人と平和を保ちなさい。愛する者たち、自分で復讐してはいけません。神の怒りにゆだねなさい。こう書かれているからです。 「復讐はわたしのもの。わたしが報復する。」 主はそう言われます。次のようにも書かれています。 「もしあなたの敵が飢えているなら食べさせ、渇いているなら飲ませよ。なぜなら、こうしてあなたは彼の頭上に燃える炭火を積むことになるからだ。」” 詩篇 73篇1~28節 見よこれが悪しき者。彼らはいつまでも安らかで富を増している。ただ空しく、私は自分の心を清め、手を洗って自分を汚れなしとした。私は休みなく打たれ、朝ごとに懲らしめを受けた。 もしも私が「このままを語ろう」と言っていたなら、きっと私はあなたの子らの世代を裏切っていたことだろう。私はこのことを理解しようとしたが、それは私の目には苦役であった。ついに私は、神の聖所に入って彼らの最期を悟った。[…] 私の心が苦みに満ち、私の内なる思いが突き刺されたとき、私は愚かで考えもなく、あなたの前で獣のようでした。しかし私は絶えずあなたとともにいました。あなたは私の右の手をしっかりとつかんでくださいました。あなたは私を諭して導き後には栄光のうちに受け入れてくださいます。 あなたのほかに天では私にだれがいるでしょう。地では私はだれをも望みません。この身も心も尽き果てるでしょう。しかし神は私の心の岩とこしえに私が受ける割り当ての地。見よあなたから遠く離れている者は滅びます。あなたに背き不実を行う者をあなたはみな滅ぼされます。しかし私にとって神のみそばにいることが幸せです。私は神である主を私の避け所としあなたのすべてのみわざを語り告げます。 マタイの福音書 10章28~31節 “からだを殺しても、たましいを殺せない者たちを恐れてはいけません。むしろ、たましいもからだもゲヘナで滅ぼすことができる方を恐れなさい。 二羽の雀は一アサリオンで売られているではありませんか。そんな雀の一羽でさえ、あなたがたの父の許しなしに地に落ちることはありません。 あなたがたの髪の毛さえも、すべて数えられています。 ですから恐れてはいけません。あなたがたは多くの雀よりも価値があるのです。” 侮辱された時、自分の持ち物を取られた時の屈辱感や怒りがあなたの行動を支配してはならない。 主イエスの十字架という屈辱 “信仰の創始者であり完成者であるイエスから、目を離さないでいなさい。この方は、ご自分の前に置かれた喜びのために、辱めをものともせずに十字架を忍び、神の御座の右に着座されたのです。” ヘブル人への手紙 12章2節 主の御前にある喜び 主の膝元にある喜びがこれを潜り抜けさせる。 乗り越えるのではない、潜り抜ける。 “私たちが卑しめられたとき主は心に留められた。主の恵みはとこしえまで。” 詩篇 136篇23節 ホレイシオ・スパフォード  Horatio Spafford (1828〜1888) シカゴの法律家、実業家 多くの不動産を所有し、社会奉仕活動。 長老教会の役員 1871年シカゴ大火→全ての不動産を失う。同年息子を猩紅熱で失う 長老教会からは、隠れた罪が原因だと断罪される イギリスで宣教していた伝道者ムーディの活動に参加するため、一家でイギリスに渡る計画 出発直前に、急な仕事のためスパフォードはシカゴに残り、妻のアンナと4人の娘だけ、先発することに。 アンナと4人の娘が乗った蒸気船は、大西洋横断中に鉄の帆船と衝突、沈没 アンナだけが助けられ生き残る。ホレイシオに電報。 Saved alone.  What should I do? すぐにイギリスに向かうホレイシオ アンナたちが乗った船が沈没したところにさしかかった時、一つの言葉が与えられた。 It is well with my soul. しかし、私の魂にとっては大丈夫。私の魂は守られている。 1.平安が川のように、心に寄り添う時も、悲しみが大波のように、逆巻く時も、 私の運命がいかなるものであっても、主よ、あなたは、教えてくださいました。「私の魂は守られている」と語ることを It is well, it is well with my soul. 2.サタンは攻撃をしかけてくる。試みの時もやってくる。 しかし、この祝福された保証が心を支配するようにせよ キリストは、私の惨めな状況をご存知である。 そして、私の魂にその御血を注いでくださったのだ 3.私の罪、ああ、この栄光ある喜びよ!私の罪は、一部分ではなく、その全てがキリストの十字架に釘付けられた。私はもはや、自分の罪を背負ってはいない。主を讃えよ!主を讃えよ!我が魂よ! It is well, it is well with my soul. 4.私にとってはキリストのみキリストだけが生きている ヨルダン川は頭の上で、逆巻くだろう。 しかし、もはや痛みは私を苦しめない。 死もいのちに呑み込まれた。 あなたが、あなたの平安を私の魂に語りかけてくださった。 5.主よ、その日を来らせ給え。あなたの真実が目に見える時を。 雲は幕のように巻き取られ、ラッパの音が響き、主がやってこられる。 しかし、私の魂は守られている。 It is well, it is well with my soul. ムーディの宣教活動に参加 その後、エルサレムに移住、エルサレムで貧困にあえぐ人たちの救済のために生涯を捧げる。今も、スパフォードの子孫が経営するホテルがエルサレムにある。 スパフォード夫妻の子孫が運営するアメリカン・コロニーホテル・エルサレム https://www.americancolony.com/
31:03
September 8, 2019
2019年9月1日「真実は真実に応える」マタイの福音書第5章33節〜37節 岩本遠億牧師
真実は真実に応える マタイの福音書第5章33節〜37節 岩本遠億牧師 2019年9月1日 また、昔の人々に対して、『偽って誓ってはならない。あなたが誓ったことを主に果たせ』と言われていたのを、あなたがたは聞いています。しかし、わたしはあなたがたに言います。決して誓ってはいけません。天にかけて誓ってはいけません。そこは神の御座だからです。地にかけて誓ってもいけません。そこは神の足台だからです。エルサレムにかけて誓ってもいけません。そこは偉大な王の都だからです。自分の頭にかけて誓ってもいけません。あなたは髪の毛一本さえ白くも黒くもできないのですから。あなたがたの言うことばは、『はい』は『はい』、『いいえ』は『いいえ』としなさい。それ以上のことは悪い者から出ているのです。 「あの素晴らしい愛をもう一度」 北山修作詞・加藤和彦作曲 命かけてと 誓った日から すてきな想い出 残してきたのに あの時 同じ花を見て 美しいと言った二人の 心と心が 今はもう通わない あの素晴らしい愛をもう一度 あの素晴らしい愛をもう一度 忘らるる 身をば思はず 誓ひてし      人の命の 惜しくもあるかな                              右近 『拾遺集』恋四・870 「天地神明に誓って」 一般の理解:嘘をつく人(特に政治家)の常套句 十戒の第3戒 主の名をみだりに唱えてはならない。 =主の名による誓いを禁止        ⇩ 天にかけて誓う 地にかけて誓う エルサレムにかけて誓う 自分の頭にかけて誓う 神殿にかけて誓う 神殿の黄金にかけて誓う 祭壇にかけて誓う 祭壇の捧げ物にかけて誓う 人はなぜ誓うのか? なぜ誓わせるのか? 前提:自分の言葉、相手の言葉が信用できない    人の言葉は不真実である 誓いの偽善性 誓いと契約の違い 契約=違約した場合の報いが規定 ダビデとヨナタンの愛の契約 =裏切ったら、殺してくれ←主が証人 不真実な言葉の世界から真実な言葉の世界へ 「あなたがたの言うことばは、『はい』は『はい』、『いいえ』は『いいえ』としなさい。それ以上のことは悪い者から出ているのです。」 コリント人への手紙 第二 1章15~24節 この確信をもって、私はまずあなたがたのところを訪れて、あなたがたが恵みを二度得られるようにと計画しました。すなわち、あなたがたのところを通ってマケドニアに赴き、そしてマケドニアから再びあなたがたのところに帰り、あなたがたに送られてユダヤに行きたいと思ったのです。 このように願った私は軽率だったのでしょうか。それとも、私が計画することは人間的な計画であって、そのため私には、「はい、はい」は同時に「いいえ、いいえ」になるのでしょうか。 神の真実にかけて言いますが、あなたがたに対する私たちのことばは、「はい」であると同時に「いいえ」である、というようなものではありません。私たち、すなわち、私とシルワノとテモテが、あなたがたの間で宣べ伝えた神の子キリスト・イエスは、「はい」と同時に「いいえ」であるような方ではありません。 この方においては「はい」だけがあるのです。神の約束はことごとく、この方において「はい」となりました。それで私たちは、この方によって「アーメン」と言い、神に栄光を帰するのです。私たちをあなたがたと一緒にキリストのうちに堅く保ち、私たちに油を注がれた方は神です。神はまた、私たちに証印を押し、保証として御霊を私たちの心に与えてくださいました。 私は自分のいのちにかけ、神を証人にお呼びして言います。私がまだコリントへ行かないでいるのは、あなたがたへの思いやりからです。私たちは、あなたがたの信仰を支配しようとする者ではなく、あなたがたの喜びのために協力して働く者です。あなたがたは信仰に堅く立っているのですから。 ヘブライ語  信仰 エムナー:‘eMuNa  まことにそうだ アーメン: ‘aMeN   信頼を引き起こす実体 ネエマヌート            ne ‘eMaNut  中心概念=「‘ M N」 確かさ 信仰= 神のまこと(ネエマヌート)に触れられた時に、人の中に立ち上がる信(アーメン!と言うこと) ・信仰の実体は神のまことにある ・人の信仰は、それに触れられた時の非意志的変化 ×教理を意識的に信じ込もうとすること。 ×自分の頑張りで持続、完成するもの。 ヨハネの福音書 5章24~25節 まことに、まことに、あなたがたに言います。わたしのことばを聞いて、わたしを遣わされた方を信じる者は、永遠のいのちを持ち、さばきにあうことがなく、死からいのちに移っています。まことに、まことに、あなたがたに言います。死人が神の子の声を聞く時が来ます。今がその時です。それを聞く者は生きます。 キリストの真実に触れられると、私たちの中に死んでいた真実が立ち上がる         ↓ 私たちも真実の言葉を語るものとされて行く 神様は、真実を持って触れてくださった私たちを信じ抜いてくださる。 神の真実が人の中の死んだ真実を甦らせるから。
28:38
September 1, 2019
2019年8月4日「一人を愛し抜く」マタイの福音書第5章27節〜32節 岩本遠億牧師
ただ一人を愛し抜く マタイの福音書第5章27節〜32節 岩本遠億牧師 2019年8月4日 “『姦淫してはならない』と言われていたのを、あなたがたは聞いています。しかし、わたしはあなたがたに言います。情欲を抱いて女を見る者はだれでも、心の中ですでに姦淫を犯したのです。もし右の目があなたをつまずかせるなら、えぐり出して捨てなさい。からだの一部を失っても、全身がゲヘナに投げ込まれないほうがよいのです。もし右の手があなたをつまずかせるなら、切って捨てなさい。からだの一部を失っても、全身がゲヘナに落ちないほうがよいのです。また『妻を離縁する者は離縁状を与えよ』と言われていました。しかし、わたしはあなたがたに言います。だれでも、淫らな行い以外の理由で自分の妻を離縁する者は、妻に姦淫を犯させることになります。また、離縁された女と結婚すれば、姦淫を犯すことになるのです。”マタイの福音書 5章27~32節聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会 聖書の言葉は、その時代、その地域・社会の中で語られた。時代と地域社会というコンテキストを無視して聖書を読む →聖書が意図しない倫理観を生み出す この箇所についての誤解 ➢性欲の否定 ➢他人の妻・婚約者を対象とした性欲に焦点 イエス・キリストの教えは、具体的。 ◇当時のイスラエルの社会悪を糾弾している。 “人が他人の妻と姦淫したなら、すなわち自分の隣人の妻と姦淫したなら、その姦淫した男も女も必ず殺されなければならない。”レビ記 20章10節聖書 新改訳 結婚に関する当時の社会悪 離縁する権利があったのは男性だけ 申命記24:1 人が妻をめとり、その夫となってから、妻に何か恥ずべきことを見いだし、気に入らなくなったときは、離縁状を書いて彼女の手に渡し、家を去らせる。 パリサイ派の律法学者:二つの見解 1.妻が性的な不道徳を犯した場合のみ離縁できる 2.料理を失敗したとか、他の男性と話しをするなど些細な理由   ラビ・アキバ 「妻が気に入らなくなったら離縁できる」 多くの人が第二の見解を受け入れる マタイの福音書 19章3~10節 パリサイ人たちがみもとに来て、イエスを試みるために言った。「何か理由があれば、妻を離縁することは律法にかなっているでしょうか。」イエスは答えられた。「あなたがたは読んだことがないのですか。創造者ははじめの時から『男と女に彼らを創造され』ました。そして、『それゆえ、男は父と母を離れ、その妻と結ばれ、ふたりは一体となるのである』と言われました。ですから、彼らはもはやふたりではなく一体なのです。そういうわけで、神が結び合わせたものを人が引き離してはなりません。」彼らはイエスに言った。「それでは、なぜモーセは離縁状を渡して妻を離縁せよと命じたのですか。」イエスは彼らに言われた。「モーセは、あなたがたの心が頑ななので、あなたがたに妻を離縁することを許したのです。しかし、はじめの時からそうだったのではありません。あなたがたに言います。だれでも、淫らな行い以外の理由で自分の妻を離縁し、別の女を妻とする者は、姦淫を犯すことになるのです。」弟子たちはイエスに言った。「もし夫と妻の関係がそのようなものなら、結婚しないほうがましです。」” マラキ書 2章13~16節 あなたがたはもう一つのことをしている。あなたがたは、涙と悲鳴と嘆きで、主の祭壇をおおっている。主が、もうささげ物を顧みず、あなたがたの手からそれを喜んで受け取られないからだ。「それはなぜなのか」とあなたがたは言う。それは主が、あなたとあなたの若いときの妻との証人であり、あなたがその妻を裏切ったからだ。彼女はあなたの伴侶であり、あなたの契約の妻であるのに。神は人を一体に造られたのではないか。そこには、霊の残りがある。その一体の人は何を求めるのか。神の子孫ではないか。あなたがたは、自分の霊に注意せよ。あなたの若いときの妻を裏切ってはならない。「妻を憎んで離婚するなら、──イスラエルの神、主は言われる──暴虐がその者の衣をおおう。──万軍の主は言われる。」あなたがたは自分の霊に注意せよ。裏切ってはならない。” 離婚された女性=生産手段を持たない ⇒他の男性と再婚、あるいは、身を売るしかない マタイの福音書 21章31~32節 「まことに、あなたがたに言います。取税人たちや遊女たちが、あなたがたより先に神の国に入ります。なぜなら、ヨハネがあなたがたのところに来て義の道を示したのに、あなたがたは信じず、取税人たちや遊女たちは信じたからです。あなたがたはそれを見ても、後で思い直して信じることをしませんでした。” “イエスは答えられた。「この水を飲む人はみな、また渇きます。しかし、わたしが与える水を飲む人は、いつまでも決して渇くことがありません。わたしが与える水は、その人の内で泉となり、永遠のいのちへの水が湧き出ます。」”ヨハネの福音書 4章13~14節聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会 何故、姦淫は死刑になるほどの罪なのか? 複数の人との性交渉=複数の神礼拝と直結 ただ一人の人を愛し抜く=ただ一人の神を愛し抜く 人には心は一つしかない→愛せる対象は一人 ソロモン王   300人の妻と700人の側女              ↓          主を捨て偶像崇拝者へと              ↓          イスラエル王国滅亡への道 「聞け、イスラエルよ。主はただ一人の神である。あなたは、心を尽くし、力を尽くし、思いを尽くして主なるあなたの神を愛せよ。」 ただ一人の人を愛し抜く=ただ一人の神を愛し抜くことを知る 旧約の預言者ホセア ゴメルは恋人の後を追い、姦淫を犯し恋人の子供を産む          ↓ 主からの言葉 「姦淫の女と姦淫の子等を引き取れ」          ↓ ホセアの妻となるゴメル          ↓ ホセアから離れ、姦淫を犯し続け、ついに奴隷とされ、偶像の神殿で参拝者に体を提供          ↓ 主の言葉「再び行って、姦淫の妻を引き取れ」          ↓ 銀15枚(女性の奴隷を買い取る金額)でゴメルを身請けし、救い出す          ↓ 神様の変わらぬ愛とは何かを知る サマリアの女 4人の男性と結婚→幸せになれない 今は別の人と同棲生活 異性によっては心の奥の奥の渇きは満たされない “イエスは答えられた。「この水を飲む人はみな、また渇きます。しかし、わたしが与える水を飲む人は、いつまでも決して渇くことがありません。わたしが与える水は、その人の内で泉となり、永遠のいのちへの水が湧き出ます。」”ヨハネの福音書 4章13~14節”しかし、まことの礼拝者たちが、御霊と真理によって父を礼拝する時が来ます。今がその時です。父はそのような人たちを、ご自分を礼拝する者として求めておられるのです。神は霊ですから、神を礼拝する人は、御霊と真理によって礼拝しなければなりません。」”ヨハネの福音書 4章23~24節
30:31
August 4, 2019
2019年7月28日「激しい言葉から守られて」マタイの福音書第5章21節〜26節 岩本遠億牧師
激しい言葉から守られて マタイの福音書第5章21節〜26節 岩本遠億牧師 2019年7月28日 “昔の人々に対して、『殺してはならない。人を殺す者はさばきを受けなければならない』と言われていたのを、あなたがたは聞いています。しかし、わたしはあなたがたに言います。兄弟に対して怒る者は、だれでもさばきを受けなければなりません(裁きを免れることはできない)。兄弟に『ばか者』と言う者は最高法院でさばかれます。『愚か者』と言う者は火の燃えるゲヘナに投げ込まれます。 ですから、祭壇の上にささげ物を献げようとしているときに、兄弟が自分を恨んでいることを思い出したなら、ささげ物はそこに、祭壇の前に置き、行って、まずあなたの兄弟と仲直りをしなさい。それから戻って、そのささげ物を献げなさい。 あなたを訴える人とは、一緒に行く途中で早く和解しなさい。そうでないと、訴える人はあなたを裁判官に引き渡し、裁判官は下役に引き渡し、あなたは牢に投げ込まれることになります。まことに、あなたに言います。最後の一コドラントを支払うまで、そこから決して出ることはできません。“ マタイの福音書 5章21~26節 地の塩、世の光とは、神の言葉によって神の灯火を心に与えられた者。       ↓ どのように神の言葉を聞き取っていくのか?       ↓ 私たちはどう生きるのか? あなたがたの義が、律法学者やパリサイ人の義にまさっていなければ、あなたがたは決して天の御国に入れません。 天の御国 ✕死んでから行く天国 ○この地に行われる神の支配 ➡︎あなたがたの義が、律法学者やパリサイ人の義にまさっていなければ、あなたがたはこの地で行われる神の支配の祝福に決して関わることができない。 怒る→裁きを受けなければならない 兄弟に『ばか者』と言う→最高法院で裁かれる 『愚か者』と言う→火の燃えるゲヘナに投げ込まれる 一般の理解:心の中の怒りは殺人と同じ罪      誰でも怒ったことはある      →誰でも罪びと      →地獄に落とされないためにイエス様を信じましょう 「天の御国に入れません」の理解に問題 “そこで主君は彼を呼びつけて言った。『悪い家来だ。おまえが私に懇願したから、私はおまえの負債をすべて免除してやったのだ。私がおまえをあわれんでやったように、おまえも自分の仲間をあわれんでやるべきではなかったのか。』こうして、主君(=神様)は怒って、負債をすべて返すまで彼を獄吏たちに引き渡した。” マタイの福音書 18章32~34節 “それで再び、次のように言って別のしもべたちを遣わした。『招待した客にこう言いなさい。「私は食事を用意しました。私の雄牛や肥えた家畜