ふくちゃんの朗読出前します
By ベルリン@対話工房
ふくちゃんの朗読出前しますApr 05, 2023
トルーマンハウスが学校の校舎となる(前半)
ふくもとまさお著『きみたちには、起こってしまったことに責任はない でもそれが、もう繰り返されないことには責任があるからね』の「戦後のトルーマンハウス」の章から、「トルーマンハウスが学校の校舎となる」の前半を朗読します。
戦後、東西ドイツ分割によってトルーマンハウスは東ドイツ領となりました。トルーマンハウスがその後、どう使われてきたのかについて探ります。1961年にベルリンの壁ができると、トルーマンハウスは東西ドイツの国境地帯に入り、東西冷戦のど真ん中に置かれました。
写真は、トルーマンハウス後ろのグリープニッツ湖湖畔にできたベルリンの壁の一部です。
戦争の現実を知らなかった(後半)
ふくもとまさお著『きみたちには、起こってしまったことに責任はない でもそれが、もう繰り返されないことには責任があるからね』の「ポツダム会談と原爆投下」の章から、「戦争の現実を知らなかった」の後半を朗読します。
第二次世界大戦のはじまる直前の1937年に日本で生まれ、戦後の1947年にドイツに戻ってきたハンスユルゲンさんが、戦後ドイツで生活する葛藤について語ります。
写真は、ポツダムの自で晩年を過ごしていた時のハンスユルゲンさんです。
戦争の現実を知らなかった(前半)
ふくもとまさお著『きみたちには、起こってしまったことに責任はない でもそれが、もう繰り返されないことには責任があるからね』の「ポツダム会談と原爆投下」の章から、「戦争の現実を知らなかった」の前半を朗読します。
第二次世界大戦のはじまる直前の1937年に日本で生まれ、戦後の1947年にドイツに戻ってきたハンスユルゲンさんの日本での体験について語ります。
写真は、日本にいた時のハンスユルゲンさんです。
記念碑が完成する
ふくもとまさお著『きみたちには、起こってしまったことに責任はない でもそれが、もう繰り返されないことには責任があるからね』の「ポツダム会談と原爆投下」の章から、「記念碑が完成する」を朗読します。
ポツダムのトルーマンハウスの前に、記念碑が完成しました。その除幕式の時の様子を伝えます。
写真は、記念碑の除幕式で千羽鶴を持つ原爆体験者の外林秀人さんです。
女性は身を隠して生活する
ふくもとまさお著『きみたちには、起こってしまったことに責任はない でもそれが、もう繰り返されないことには責任があるからね』の「ポツダム会談と原爆投下」の章から、「女性は身を隠して生活する」を朗読します。
終戦後のドイツ・ポツダムでの生活について、生き証人のヘルガさんに語ってもらいました。
写真は、そのヘルガさんです。
被爆石は安全か
ふくもとまさお著『きみたちには、起こってしまったことに責任はない でもそれが、もう繰り返されないことには責任があるからね』の「ポツダム会談と原爆投下」の章から、「被爆石は安全か」を朗読します。
原爆投下によって広島と長崎で被爆した石を、ポツダムに設置する記念碑を入れることになりました。ドイツ市民とドイツの役所に被爆した石の安全性をどう証明すべきなのか。当時の苦労について語ります。
写真は、ポツダムの記念碑除幕式に撮影したもの。写真左の石が長崎で、右が広島で、当時被爆したものです。」
ドレスデンでは文化公演がはじまる
ふくもとまさお著『きみたちには、起こってしまったことに責任はない でもそれが、もう繰り返されないことには責任があるからね』の「ポツダム会談と原爆投下」の章から、「ドレスデンでは文化公演がはじまる」を朗読します。
ドレスデン空襲の体験・生存者ノーラさんのインタビューから、空襲の時と終戦後のドレスデンの様子と、ノーラさんが戦争加害国の戦争被害者として、戦争と人権についてどう思っているかについて語ります。
写真は、空襲で焼けた皿を見せてくれるノーラさんです。皿の右下の模様が黒くなっていることが焼けたことを証明しています。
千羽鶴を折る
ふくもとまさお著『きみたちには、起こってしまったことに責任はない でもそれが、もう繰り返されないことには責任があるからね』の「ポツダム会談と原爆投下」の章から、「千羽鶴を折る」を朗読します。
2010年7月にポツダムのヒロシマ広場に記念碑が完成するのに向け、千羽鶴を3つ折ってもらいました。ドイツでも折り紙はよく普及し、千羽鶴と禎子のこともよく知られています。
写真は、ポツダム市市庁舎で平和首長会議を開催した時に、会場前でポツダム大学の折り紙クラブの学生さんに千羽鶴を折ってもらっていた時に撮りました。
日本が破壊される
ふくもとまさお著『きみたちには、起こってしまったことに責任はない でもそれが、もう繰り返されないことには責任があるからね』の「ポツダム会談と原爆投下」の章から、「日本が破壊される」を朗読します。
1945年6月から原爆投下までの時期、ベルリンで発行されていたドイツの新聞記事から、当時日本がどのように空爆され、破壊されていったかを語ります。
写真は、原爆で破壊される前の広島市内の様子。多分、川左側の建物のあるエリアが旧中島地区、今の平和記念公園のある辺りと見られます。橋は元安橋か。
記念碑の工事がはじまる
ふくもとまさお著『きみたちには、起こってしまったことに責任はない でもそれが、もう繰り返されないことには責任があるからね』の「ポツダム会談と原爆投下」の章から、「記念碑の工事がはじまる」を朗読します。
いろいろ記念碑を設置する工事がじはじまります。ノルウェーから36トンの大きな石がくるほか、碑文を入れた平石と広島と長崎で当時被爆した石も現場に運び込まれます。
ポツダムで生きる
ふくもとまさお著『きみたちには、起こってしまったことに責任はない でもそれが、もう繰り返されないことには責任があるからね』の「ポツダム会談と原爆投下」の章から、「ポツダムで生きる」を朗読します。
1945年のポツダム会談前後におけるポツダムでの市民の生活を、生き証人クラウスさんの証言から語ります。
碑文を修正する
ふくもとまさお著『きみたちには、起こってしまったことに責任はない でもそれが、もう繰り返されないことには責任があるからね』の「ポツダム会談と原爆投下」の章から、「ふくもとまさお著『きみたちには、起こってしまったことに責任はない でもそれが、もう繰り返されないことには責任があるからね』の「ポツダム会談と原爆投下」の章から、「碑文を修正する」を朗読します。
ポツダム会談時に、原爆投下の命令書がワシントンから作戦担当のスパーツ司令官に出されています。1945年7月25日のことでした。米国トルーマン大統領が署名しているわけではありません。これは、軍レベルの命令書だったからです。
問題は、トルーマン大統領の署名する命令書が必要だったかどうかです。必要なかったから、軍の命令書しかなかったのです。この史実をはっきりさせる必要があります。
それでは、ポツダム会談時にポツダムのトルーマンハウスでは、何が決められたのでしょうか。
ポツダムは占領されていた
ふくもとまさお著『きみたちには、起こってしまったことに責任はない でもそれが、もう繰り返されないことには責任があるからね』の「ポツダム会談と原爆投下」の章から、「ふくもとまさお著『きみたちには、起こってしまったことに責任はない でもそれが、もう繰り返されないことには責任があるからね』の「ポツダム会談と原爆投下」の章から、「ポツダムは占領されていた」を朗読します。
ポツダム会談時におけるポツダム市民の生活については、あまり知られていません。それを生証人であるクラウス少年の目から見て語ります。
平和首長会議を開く
ふくもとまさお著『きみたちには、起こってしまったことに責任はない でもそれが、もう繰り返されないことには責任があるからね』の「ポツダム会談と原爆投下」の章から、「ふくもとまさお著『きみたちには、起こってしまったことに責任はない でもそれが、もう繰り返されないことには責任があるからね』の「ポツダム会談と原爆投下」の章から、「平和首長会議を開く」を朗読します。
ポツダムでは、原爆投下追悼記念碑を除幕する前に、平和首長会議を開くことになりました。その時の経緯と思惑について語ります。
3首脳がくる(後半)
ふくもとまさお著『きみたちには、起こってしまったことに責任はない でもそれが、もう繰り返されないことには責任があるからね』の「ポツダム会談と原爆投下」の章から、「ふくもとまさお著『きみたちには、起こってしまったことに責任はない でもそれが、もう繰り返されないことには責任があるからね』の「ポツダム会談と原爆投下」の章から、「3首脳がくる」(後半)を朗読します。
ポツダム会談のためにスターリンがポツダム入りした後の米国トルーマン大統領と英国チャーチル首相、スターリン書記長のやりとりについて朗読します。
(写真提供:Harry S. Truman Library)
3首脳がくる(前半)
ふくもとまさお著『きみたちには、起こってしまったことに責任はない でもそれが、もう繰り返されないことには責任があるからね』の「ポツダム会談と原爆投下」の章から、「ふくもとまさお著『きみたちには、起こってしまったことに責任はない でもそれが、もう繰り返されないことには責任があるからね』の「ポツダム会談と原爆投下」の章から、「3首脳がくる」(前半)を朗読します。
ポツダム会談を前にまず、米国トルーマン大統領と英国チャーチル首相がポツダム入りしたことについて朗読します。
記念碑への批判記事がでる
ふくもとまさお著『きみたちには、起こってしまったことに責任はない でもそれが、もう繰り返されないことには責任があるからね』の「ポツダム会談と原爆投下」の章から、「ふくもとまさお著『きみたちには、起こってしまったことに責任はない でもそれが、もう繰り返されないことには責任があるからね』の「ポツダム会談と原爆投下」の章から、「記念碑への避難記事がでる」を朗読します。
ポツダムで原爆投下の追悼記念碑を完成させる直前になって、記念碑に対する規範記事が新聞に掲載された。それは、米国人による投稿記事だった。そこでは、記念碑が日本の戦争責任を黙認しているとあった。
ポツダム会談を準備する(後半)
ふくもとまさお著『きみたちには、起こってしまったことに責任はない でもそれが、もう繰り返されないことには責任があるからね』の「ポツダム会談と原爆投下」の章から、「ポツダム会談を準備する」の後半を朗読します。
ポツダム会談の会談となったツェツィーリエンホーフ宮殿をどのように会談場に仕上げたのか。住民は、連合国の国旗を掲揚するように命令されたが、国旗をどのようにつくったのか。一番難しかった国旗は何か。一番簡単にできた国旗はどの国旗か。そしてそれは、なぜかなどについて話します。
ポツダム会談を準備する(前半)
ふくもとまさお著『きみたちには、起こってしまったことに責任はない でもそれが、もう繰り返されないことには責任があるからね』の「ポツダム会談と原爆投下」の章に入ります。まず「ポツダム会談を準備する」の前半を朗読します。
ドイツの戦後を決める米英ソ3カ国の首脳会談であるポツダム会談がなぜ、ナチス・ドイツの首都ベルリンではなく、ポツダムで開催されたのか、その背景について話します。
イエローケーキを日本に送る(後半)
ふくもとまさお著『きみたちには、起こってしまったことに責任はない でもそれが、もう繰り返されないことには責任があるからね』の「ポツダムに記念碑をつくる」の章から、「イエローケーキを日本に送る」の後半を朗読します。
終戦直前、ドイツの潜水艦で日本に輸送されていた参加ウランはイエローケーキで、日本の軍需品調達会社、昭和通商が購入したものでした。潜水艦航行中、ナチス・ドイツは降伏してしまいます。イエローケーキはどうなったのでしょうか。
フロントの写真が、イエローケーキを輸送していたドイツの潜水艦U234です。ドイツ潜水艦博物館(Deutsches U-Boot-Museum, Cuxhaven-Altenbruch)提供
イエローケーキを日本に送る(前半)
ふくもとまさお著『きみたちには、起こってしまったことに責任はない でもそれが、もう繰り返されないことには責任があるからね』の「ポツダムに記念碑をつくる」の章から、「イエローケーキを日本に送る」の前半を朗読します。
日本では、「マッチ箱1個」が原爆だと思われていました。米軍の取り調べ調書にも、拘束された日本の技官がそう語っています。その背景と謎を探ります。
広島と長崎の被爆石を記念碑に入れる
ふくもとまさお著『きみたちには、起こってしまったことに責任はない でもそれが、もう繰り返されないことには責任があるからね』の「ポツダムに記念碑をつくる」の章から、「広島と長崎の被爆石を記念碑に入れる」を朗読します。
ポツダムのトルーマンハウス前に設置する記念碑に、当時広島と長崎で被爆した被爆石を入れることになる経緯について語る。
ドイツの降伏が日本の運命を決める
ふくもとまさお著『きみたちには、起こってしまったことに責任はない でもそれが、もう繰り返されないことには責任があるからね』の「ポツダムに記念碑をつくる」の章から、「ドイツの降伏が日本の運命を決める」を朗読します。
米国は、ナチス・ドイツより早く原爆を開発しようとして開発を加速させる。しかし結果として、米国はナチス・ドイツではなく、日本に原爆を投下することになる。それはなぜか。その歴史の背景を探る。
記念碑を構想する
ふくもとまさお著『きみたちには、起こってしまったことに責任はない でもそれが、もう繰り返されないことには責任があるからね』の「ポツダムに記念碑をつくる」の章から、「記念碑を構想する」を朗読します。
記念碑を構想するに当たっては、寄付金をどれくらい集めることができるかが、最大の課題でした。記念碑の制作は彫刻家藤原信さんに委託することで決まりますが、信さんの構想を実現するだけの資金が集まらないことがわかります。ぼくたちはそのため、碑文の入る平石だけと考えました。しかし信さんは、大きな石がないと記念碑にならないと主張します。
じゃがいもを収穫する
ふくもとまさお著『きみたちには、起こってしまったことに責任はない でもそれが、もう繰り返されないことには責任があるからね』の「ポツダムに記念碑をつくる」の章から、「じゃがいもを収穫する」を朗読します。
終戦後、ポツダムがいかに食糧難だったか、さらに住民有志が食糧難の下で協力してじゃがいもを収穫していた様子を伝えます。
『1945年8月6日の外林の日記』
ふくもとまさお著『きみたちには、起こってしまったことに責任はない でもそれが、もう繰り返されないことには責任があるからね』の「ポツダムに記念碑をつくる」の章から、「募金活動がライフワークとなる」の項にある原爆体験者外林さんの被爆体験『1945年8月6日の外林の日記』を朗読します。
ベルリン在住の原爆体験者故外林秀人さんがドイツで、語り部として被爆体験を語った時、『1945年8月6日の外林の日記』を朗読されていました。それをここで、外林秀人さんに代わって朗読します。
募金活動がライフワークとなる
ふくもとまさお著『きみたちには、起こってしまったことに責任はない でもそれが、もう繰り返されないことには責任があるからね』の「ポツダムに記念碑をつくる」の章から、「募金活動がライフワークとなる」を朗読します。
原爆体験者の外林秀人さんが語り部としてドイツで被爆体験を語る活動が、ライフワークになっていきます。外林さんの活動と外林さんとの体験について語ります。
白旗を揚げる
ふくもとまさお著『きみたちには、起こってしまったことに責任はない でもそれが、もう繰り返されないことには責任があるからね』の「ポツダムに記念碑をつくる」の章から、「白旗を揚げる」を朗読します。
ポツダム・バーベルスベルクで当時生活していた生き証人クラウス・アールトさんの当時の体験のエピソードを語ります。
原爆体験者が募金活動をはじめる
ふくもとまさお著『きみたちには、起こってしまったことに責任はない でもそれが、もう繰り返されないことには責任があるからね』の「ポツダムに記念碑をつくる」の章から、「原爆体験者が募金活動をはじめる」を朗読します。
ベルリン在住原爆体験者の外林秀人が語り部として、原爆体験を語るとともに、ヒロシマ広場に記念碑を設置するための募金活動をはじめます。そのもとについて、少し具体的に話します。
ドイツが降伏する
ふくもとまさお著『きみたちには、起こってしまったことに責任はない でもそれが、もう繰り返されないことには責任があるからね』の「ポツダムに記念碑をつくる」の章から、「ドイツが降伏する」を朗読します。
ナチス・ドイツが降伏する直前の戦況と降伏した日について語ります。
原爆体験者であることを隠す
ふくもとまさお著『きみたちには、起こってしまったことに責任はない でもそれが、もう繰り返されないことには責任があるからね』の「ポツダムに記念碑をつくる」の章から、「原爆体験者であることを隠す」を朗読します。
ベルリン在住原爆体験者の外林秀人さんが、ヒロシマ広場の記念碑のために語り部となる経緯について語ります。
ポツダムが攻撃される
ふくもとまさお著『きみたちには、起こってしまったことに責任はない でもそれが、もう繰り返されないことには責任があるからね』の「ポツダムに記念碑をつくる」の章から、「ポツダムが攻撃される」を朗読します。
1945年4月、ポツダムが英軍機によって無差別空爆された時の状況について語ります。
市民として活動する
ふくもとまさお著『きみたちには、起こってしまったことに責任はない でもそれが、もう繰り返されないことには責任があるからね』の「ポツダムに記念碑をつくる」の章から、「市民として活動する」を朗読します。
「ヒロシマ広場」に記念碑を設置する計画があることを伝えられ、そのための募金活動のイベントで、原爆投下について語ることのできる日本人を探すため、その主催者ウーヴェとあって、どういう活動なのかを確認することになります。
ナチス・ドイツは原爆実験に成功していた
ふくもとまさお著『きみたちには、起こってしまったことに責任はない でもそれが、もう繰り返されないことには責任があるからね』の「ポツダムに記念碑をつくる」の章から、「ナチス・ドイツは原爆実験に成功していた」を朗読します。
これまでの原爆開発の歴史研究と異なり、ナチス・ドイツは終戦直前、原爆実験に成功していたとする本が出版されました。ナチス・ドイツは本当に、原爆の開発に成功していたのでしょうか。それが事実だとすると、どのような原爆だったのでしょうか。
ヒロシマ広場が誕生する
ふくもとまさお著『きみたちには、起こってしまったことに責任はない でもそれが、もう繰り返されないことには責任があるからね』の「ポツダムに記念碑をつくる」の章から、「ヒロシマ広場が誕生する」を朗読します。
ポツダムのトルーマンハウス前の広場が、「ヒロシマ広場」と命名されることになる経緯について説明します。
ベルリン会談だった
ふくもとまさお著『君たちには、起こってしまったことに責任はない でもそれが、もう繰り返されないことには責任があるからね』の「ポツダムに記念碑をつくる」の章から、「ベルリン会談だった」を朗読します。
ポツダム会談として知られる会談が、正式な名称ではなかったのです。日本に無条件降伏を求めたポツダム宣言は直接には、ポツダム会談と何も関係なかったのです。一般に日本で、誤解されていることをはっきりさせます。
プロローグ
ふくもとまさお著『君たちには、起こってしまったことに責任はない でもそれが、もう繰り返されないことには責任があるからね』のプロローグを朗読します。この本を書いた背景などがわかります。