朗読のアナ 寺島尚正
By roudoku iqunity
文化放送から、四十年にわたってリスナーに語りかけている寺島尚正アナウンサーがさまざまな作品を朗読します。
その声が紡ぎ出す物語に耳をすませ、語りから無限に広がる想像力、日本語の奥深さをご堪能ください。
朗読のアナ 寺島尚正May 15, 2024
森鴎外 「寒山拾得」
中国の唐の時代を舞台にした短編です。地方官吏が常日頃から悩まされている持病の頭痛を、貧しい身なりで流浪する僧が直してくれます。その力に驚いた官吏は、その僧から本当に凄い人物のことを教えられます。森鴎外が子供を楽しませるために話した内容を、小説に仕立て直しました。 、
宮沢賢治 「虔十公園林」
宮沢賢治作品のなかでも人気の高い寓話です。時の流れとともに土地も暮らしも変わっていきますが、いつの時代にも人の心を豊かにしてくれるものがあります。その価値がわかるのは、利にさとい人でもなく、自分を賢いと思っている人でもなく、純粋な心を持った人です。
菊池寛 「風雲児、坂本龍馬」
菊池寛が歴史について書いた作品は、大衆向けでわかりやすくエピソードなどを織り交ぜながら飽きさせずに歴史の面白さを教えてくれます。特に時代を動かした人物については、ポイントを抑えながら生き生きと描き出すことに定評がありました。
山本周五郎 「粗忽評判記」
山本周五郎の滑稽ものには、ときおり粗忽者が登場します。この短編には幾人もの粗忽者が登場しますが、舞台が落語の長屋と違い堅苦しい作法にしばられた武家社会だけに、ひと味違う可笑しみがあり、劇的な役割を果たすことになります。
渡辺温 「恋」
夏の休暇で海辺のホテルを訪れた女優は、そこで見かけた男性に一目惚れします。互いを知っていく二人は、不思議な縁で繋がっていました。昭和モダニズムの頃に、新時代の感性を取り入れた作品を発表した渡辺温の短編です。
岡本綺堂 「百物語」
人々が夜に集まって怪談を語り合う百物語。そこで語られる怪談だけでなく、百物語という催しそのものが、不穏で猟奇性を帯びて感じられます。上州の若侍たちが山寺で行った百物語の最中に、不思議な女があらわれます。それは妖怪でしょうか、なにかの予兆だったのでしょうか。
吉川英治 「日本名婦伝 小野寺十内の妻」
赤穂藩浅野家の小野寺十内は文武に優れ、京都留守居役を務めながら愛妻とともに初老をむかえました。そのまま何事もなければ悠々自適の老後となるところでしたが、松の廊下の切腹事件が起こり、夫婦の晩年は一変します。それぞれの本分を尽くした夫婦の物語です。
薄田泣菫 「春の賦」
明治から戦前の昭和に詩人として一時代を築いた薄田泣菫は、味わい深い随筆でも人気でした。人生の晩年に春を感じて心に浮かぶさまざまな思いを、詩人らしいフレーズを織り交ぜながら、訥々とした語り口で浮かび上がらせます。泣菫は春にまつわる作品が多く、春の甲子園の2代目大会歌「陽は舞いおどる甲子園」の作詞家でもあります。
山本周五郎 「一人ならじ」
主人公は合戦の最中に、まさに身を捨てた激烈なやり方で味方の攻撃を支え戦を勝ちに導いたものの、評価をされないばかりか陰で嘲られるような境遇に陥ります。彼には出世よりも貫きたい武士の道があり、意外なところに理解者がいました。
田中貢太朗 「切支丹転び」
徳川幕府の初期、厳しくキリシタンを弾圧した役人が、現れた幻士に惑わされ、運命を翻弄されます。田中貢太朗は幅広い分野で作品を発表しましたが、なかでも大いに筆をふるった怪談奇談の代表的な短編です。
夏目漱石 「処女作 追懐談」
ご存じのように夏目漱石の「吾輩は猫である」は、日本の近代文学史を語るときに欠かすことの出来ない重要な作品です。視点は新鮮で語り口は軽妙、面白く読ませながら人間について考えさせます。この作品が世に出るには、さまざまな偶然があったことが語られます。
国木田独歩 「初恋」
十四歳の少年が、村のみんなから気難しいといわれている漢学の老先生と口論になるところから話がはじまります。タイトルの「初恋」にどのようにして進んでいくのかを楽しみにお聞きください。人は実際に触れ合うことで本当に理解しあえ、そこから縁がつながっていくというお話です。
宮沢賢治 「銀河鉄道の夜」
孤独な少年ジョバンニと友人のカムパネルラが天空を旅する「銀河鉄道の夜」の原稿は宮沢賢治の死後に発見されました。推敲を重ねた第4次稿までありまだ未完成とされていますが、それでもなお発表され、読みつづけられてきました。結末も2種類ありますが、この朗読では4次稿の方を採用しています。
夏目漱石 「僕の昔」
談話をベースとした漱石の軽妙な語り口を楽しめる随筆です。生まれ育った環境や、「坊ちゃん」の背景などに触れつつ、駆け足で人生前半を語ります。幼い頃の漱石に影響を与えたであろう破天荒な兄たちの様子が愉快です。
新美南吉 「手袋を買いに」
雪の降った日の夜、母さん狐は手のかじかんだ狐の坊やを町に手袋を買いに行かせます。幼い狐が森閑とした山から灯のともった町へと向かう情景が、童話の世界へといざなってくれます。新美南吉の代表作のひとつです。
寺田寅彦 「子規自筆の根岸地図」
寺田寅彦はかつて正岡子規から渡された手書き地図を見て、当時のことに思いをはせます。子規が亡くなるまでのおよそ8年半を過ごした東京都台東区根岸の地図です。寺田は地図をみて思いたち、三十年来ぶりに鶯谷から根岸あたりを訪ねてみました。
山本周五郎 「蕭々十三年」
「蕭々」は物寂しいさまをあらわす言葉です。家来として藩主に尽くすことを本分とした男は、狂おしいほどに滅私奉公に打ち込むあまり、相手の気持ちやまわりが見えなくなってしまいます。そのためにしくじって藩主の不興をかい藩を去ったのち、ある事件が起こります。
牧野信一 「祖母の教訓」
牧野信一は大正から昭和の初めにかけて、日本近代文学の躍動期を駆け抜けるように生きた作家にして詩人です。17年の作家生活でスタイルを変えながら、優れた短編を残しました。父母とは距離があり、祖父母に溺愛されて育ったといわれています。
山本周五郎 「おかよ」
男女の恋愛感情は今も昔も変わりませんが、男女のあり方は時代によって大きく違います。心を通わせた引っ込み思案の若い足軽と茶店の采女、二人の恋愛の行く末を描いた作品です。立場が変わっていくなかでの、当時の女性の処し方をどのように感じられるでしょうか。
小津安二郎 「映画界・小言幸兵衛―泥棒しても儲ければよいは困る」
この随筆には「阿呆が監督しても客は来る」という副題もついています。映画産業が最盛期を迎えた一方で、テレビがあらわれて映像表現が分岐点を迎えた時期に書かれました。メディアの特質に合わせて多様な映像が量産される時流のなかで、小津安二郎は表現の本質が失われていないかと警鐘を鳴らします。
芥川龍之介 「沼地」
いつの世も発表された作品は批評や感想にさらされます。いかに作者が人生を捧げ心血を注いだ作品であっても、ときには作品の価値と向き合わない気まぐれや予断に満ちた意見が、作者を毀損することもあります。芥川が創造することの苦しみを見つめた小品です。
渡辺温 「或る母の話」
母一人子一人の家庭で不自由なく育った娘が適齢期を迎え、選んだ相手を母親に紹介すると、母親は予想をしていなかった反応をみせます。若きモダニズムの旗手として、編集者としても作家としても将来を嘱望されながら、20代で早逝した渡辺温のひねりを利かせた短編です。
宮沢賢治 「どんぐりと山猫」
一郎は「あした、めんどなさいばんしますから、おいでんなさい」と、山猫裁判長に呼び出されて、どんぐりたちのいざこざを解決する知恵を求められます。不可思議な楽しさと可笑し味に溢れた作品ですが、大正デモクラシーの時代に書かれたもので、起きる出来事は読む人にさまざまな意味を感じさせるのではないでしょうか。
山本周五郎 「薯粥」
江戸時代の初期は、幕府が武力を背景とした武断政治で大名家の取り潰しや減封を行ったため、世に不満を抱えた浪人があふれて大きな事件を起こしました。そこから武家社会は泰平の世に向かいはじめ、文武の文に重きを置くようになります。武家社会の価値観が移りかわろうとする時代に、武士の本懐を爽やかに貫く青年の話です。
宇野浩二 「でたらめ経」
田舎で一人暮らししている老女は、旅人に乞うてお経を教えてもらいます。そのお経が思わぬ役にたつことになります。読者の予想に応える途中からの運びは、滑稽なうえに気持ちよさもあります。宇野浩二はふり幅の大きい作家ですが、持ち前の軽妙な語り口を楽しめる作品です。
菊池寛 「島原心中」
菊池寛は大学を卒業後に新聞社の社会部で記者を務めながら、作家としての道を模索していました。これは「恩讐の彼方に」を発表し、新聞社をやめ職業作家として活動を始めた大正10年の作品です。島原遊郭の底辺で生きる女のおこした心中事件を通じて、若い検事が社会の生々しい現実を目の当たりにします。新聞記者としての経験が存分に生かされ、細部のリアリティが重厚感を生み出しています。
夢野久作 「若返り薬」
少年がいたずら心でお爺さんの薬を持ち出したところ、その薬にはとてつもない力が秘められていたことを知ります。現実と虚構の境目を自在に飛び越える、夢野久作らしい作品です。子供向けの優しい文章になっているからこそ、抵抗なく不思議で奇妙な世界に引き込まれてしまいます。。
岩本素白 「こがらし」
麻布生まれの岩本素白は散歩の達人といわれ、東京のあちこちを一人歩いては随筆に残しました。その素白が、かつて冬の東京に吹いたこがらしのことを思い出します。細やかで滋味に溢れた語り口が、静かに沁みいってくる随筆です。人生が日常の積み重ねであることをしみじみと感じさせます。
山本周五郎 「鏡」
江戸幕府は長く続きましたが、その幕藩体制が固まったのは三代将軍家光の時代です。群雄割拠した戦国時代の気風が残るなかで、幕藩体制を揺るがぬものにするために尽くした有能な家臣たちがいました。主人公の阿部忠秋もその一人です。現実的で柔軟な対応をしたといわれる忠秋らしさが、山本周五郎の手にかかるとこのような話になります。
山本周五郎 「薯粥」
江戸初期に幕府は武力を背景とした武断政治で、大名の取り潰しや減封が行われたため、不満を抱えた浪人があふれ、大きな事件を起こしました。それ以降は武家社会も泰平を求めて、文武の文の方に重きを置くようになって行きます。変わりつつある時代に、武士の本懐を爽やかに貫く青年の話です。
岸田國士 「海の誘惑」
岸田國士は、劇作を中心に文学界で幅広く活躍しました。今もその名を冠した戯曲賞で有名です。陸軍士官学校を出て入隊しましたが、文学への思いを断ちがたく勘当されながらも創作の道に入ります。そして戦前にフランス留学し、演劇と深くかかわるようになりました。当時のフランス文学の影響を感じさせる小品です。
小川未明 「白い門のある家」
児童文学で有名な小川未明は多くの怪談小説を残しています。これは大人にとっても興味深く、幻想的で不思議な話です。真夜中に喫茶店で一息入れようと家を出た男が、開いている店を捜し歩いき途方に暮れていた時に、道で出会った見知らぬ男が案内してくれたのは、懐かしい過去が詰め込まれたようなお店でした。
山本周五郎 「其角と山賊と殿様」
のちに榎本から姓をあらため宝井となった其角は江戸時代の俳諧師で、蕉門十哲に名を連ねました。洒落風と呼ばれる作風を編み出して評価を高め、多くの著名人との交流も記録に残っています。そんな其角も、若い頃は貧乏で酒にだらしなく、その日その日を過ごしていました。いつものように深酒した夜、信じられないような場所へ拉致されてしまいます。
織田作之助「秋の暈」
日本の四季が消えつつあるといわれますが、季節の変わるわずかな予兆をとらえた作品です。盛る夏にも終わりは訪れ、その気配はもの悲しく切なさを感じさせます。哀愁の漂う季節に揺れ動く心が繊細な筆致で描かれます。 秋という字の下に…で始まる書き出しから、静かで寂しい世界にひき込まれていきます。
芥川龍之介 「捨児」
寺の門前に捨てられ和尚に育てられた少年は、現れた母に引き取られ成人します。その裏では大人たちの複雑な事情と心情が絡み合っていました。龍之介自身、幼い頃に実母が気を病み、そのため家の面倒を見てくれていた母の妹と父の間に弟が生れるといった複雑な出来事を経験しました。そんな芥川ならではの母と子の心を見つめた作品です。
林芙美子 「美しい犬」
愛犬家であった林芙美子の作品です。裕福な環境で暮らしていた犬が、飼い主と離れて厳しい日々を送るようになります。犬は飼い主とともに過ごしたかつての素晴らしい日々に、思いをはせます。林芙美子が描きたかった犬の美しさとはなんだったのでしょうか。犬の犬らしい生き方が胸に沁みます。
太宰治 「清貧譚」
太宰治の「御伽草子」のなかには、日本の昔話のほかに中国の幻想怪奇譚集「聊斎志異」を翻案した作品も収められています。これはその一つです。原作は大変に短いためかなり膨らませてあり、もはや太宰の作品として読んでも良いのではないでしょうか。筑摩書房の高校教科書でもとりあげられています。
江戸川乱歩 「接吻」
若い夫に日頃から会社で厳しくあたる上司は、同世代のうえに妻の知人でもありました。夫の気持ちは複雑です。乱歩の書く男女の話には、妖しい猟奇的な作品が少なくありません。そんな読者の乱歩作品に抱く印象も、トリックとして利用したのではないかと思わせる機知にとんだ短編です。
岡本綺堂 「怪談一夜草紙」
岡本綺堂十八番の怪談と捕物帖の、両方の魅力を味わえる短編です。今で云えば事故物件、祟りがあると噂が立つ家に浪人者の父と息子が引っ越してきます。幽霊の噂など意に介さず、近所にも評判良く暮らしていましたが、仕官が叶い家を出ようとした最後の晩に・・・。
中原中也 「我が生活」
詩人の中原中也は良家に生まれ育ちながら困窮し、幼少期は天才と言われながら道を外れた振れ幅の極端な人生を歩みました。今も若い世代の共感を得ている中也の青春の蹉跌、才能がありながら世に認められることなく、屈託を抱えながらもがいている若者の心情がにじみ出てくる日記随筆です。
芥川龍之介 「仙人」
かつては教科書にも採用されていた短編です。短い話ですが、さまざまな読み解き方が楽しめます。仙人になる修行がしたいという権助は、医者の下働きとしていいように使われ続けます。古狐とあだ名される医者の女房が不思議な役回りをしています。素直にも、複雑にも考えることの出来る芥川作品です。
林不忘 「早耳三次捕物聞書 海へ帰る女」
物情騒然とし世も人も不安を抱えていた幕末に、江戸は本芝の酒屋に全身びっしょりと濡れた女が、たびたび酒を買いにやってきます。その正体が気になった酒屋の主人に、女はあることを告げます。腕っこきの岡っ引きだった男が、かつてかかわった不思議な事件を回想します。
山川方夫 「蒐集」
1962年にヒッチコックマガジンで発表された山川万夫の短編ミステリーです。飽くことない蒐集欲を持つ大学教授が、一目見て魅入られた瓶を手に入れるため、引き換えに渡したものは?モダンで乾いたムードが漂う、山川らしい味わいの作品です。
国木田独歩 「二老人」
定年退職を迎えて、年金のみで身の丈にあった暮らしをするのか、少しでも収入を増やすために働ける限り働くか。55歳定年時代のお話で、令和の今とは状況が違いますが、老いてからのクオリティ・オブ・ライフを考える意味では現在にも通じます。二人の老人ですが、それまでの生き方が老後の人生の分かれ目となったようです。
永井荷風 「にぎり飯」
永井荷風は戦争中に空襲で焼け出され、晩年に代名詞となった千葉県市川市の住人になります。大空襲で人生が大きく変わったのは、荷風散人だけではありません。空襲で家族を失い寄る辺を無くした男と女が、炊き出しの握り飯で結びつきます。新しい人生を歩み始めてから、過去が続いていたことを知ったとき、二人は選択を迫られます。
山本周五郎 「無頼は討たず」
甲斐の国と呼ばれた甲州山梨は、江戸時代に流通の要衝として大変に栄え、全国に名を知られた多くの博徒侠客を輩出しました。そんな土地で名を売った貸元が、無頼の世界を嫌い息子を堅気に育て上げます。その父親が闇討ちに倒れたあと、息子はどのように生きていくのか。堅気と無頼の道義の違いが捻じれを生んで、思わぬ結果をよびます。
林不忘 「寛永相合傘」
おなじ藩の仲の良い二人の侍が、刀の目利きをめぐって口論になります。ちょっとした言い争いのはずが、思わぬ流れに突き進んでいきます。国は平定されたものの戦国時代の気風が残る三代将軍家光の時代。侍の生き方や価値観が変化する流れのなかで、意地や名分のために引き返せせず、運命を受け入れていく二人の行動は武士らしくもあり、哀しくもあり、滑稽でもあり。
萩原朔太郎 「僕の孤独癖について」
詩人の萩原朔太郎は人と交わるのが苦手で、自分を理解してくれる数少ない友人以外との社交を、若いころから避け続けてきました。煩わしいことに関わらないことで、自分を保っていたのかもしれません。そんな朔太郎にも年齢を重ねるとともに変化が訪れます。生きづらさを感じて過ごす若者が多いといわれる現代社会にも通じる短編随筆です。
菊池寛 「狐を斬る」
故あって浪人したものの暮らしぶりも恵まれている侍が、身の回りの世話をする若い女と男女の仲になり、夫婦のように暮らし始めました。すると、そこから・・・。侍の対面と情を交えた女への優しさのはざまにあって、いかにして問題をおさめるのでしょうか。菊池寛が昔話をヒントに、再構築した短編です。
林不忘 「早耳三次捕物聞書 浮世芝居女芝居」
丹下左膳でお馴染みの林不忘の作品です。林不忘(本名:長谷川海太郎)は大正時代にアメリカを放浪し、帰国後に執筆活動をはじめます。そして、3つのペンネームを使い分け大流行作家となりました。林不亡は髷物を書くときのペンネームで、戯作の語り口にアイディアを盛り込み楽しめる娯楽作となっています。