Faith Hope Love
By Sato Mariko
Faith Hope LoveMar 25, 2020
平和を築く愛の花束 ヨハネ13:34-35
わたしはあなたがたに新しい戒めを与えます。互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。互いの間に愛があるなら、それによって、あなたがたがわたしの弟子であることを、すべての人が認めるようになります。(ヨハネ13:34~35)
愛を知らない人が、戦争をします。愛は連鎖します。だから、私たちが真っ先にできる最大の平和への貢献は、身近な人を愛することです。それが、これ以上ない強力な反戦運動です。
参考(引用):モーリス・ドリュオン作、安東次男訳『みどりのゆび』岩波書店、1977年
聖霊に導かれる歩み 使徒の働き2章1-3節
五旬節の日になって、皆が同じ場所に集まっていた。すると天から突然、激しい風が吹いて来たような響きが起こり、彼らが座っていた家全体に響き渡った。また、炎のような舌が分かれて現れ、一人ひとりの上にとどまった。すると皆が聖霊に満たされ、御霊が語らせるままに、他国のいろいろなことばで話し始めた。
使徒の働き2章1-3節
あなたが宣教師 マタイの福音書28章19〜20節
ですから、あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。父、子、聖霊の名において彼らにバプテスマを授け、わたしがあなたがたに命じておいた、すべてのことを守るように教えなさい。見よ、わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたとともにいます。
(マタイ28:19〜20)
あなたの光 イザヤ60:1
起きよ、光を放て。あなたの光が臨み、主の栄光があなたの上にのぼったから。見よ、暗きは地をおおい、やみはもろもろの民をおおう。しかし、あなたの上には主が朝日のごとくのぼられ、主の栄光があなたの上にあらわれる。もろもろの国は、あなたの光に来、もろもろの王は、のぼるあなたの輝きに来る。イザヤ書 60:1~3
Merry Christmas!
生きてほしい エゼキエル18:32
なぜ、あなたがたは死のうとするのか。わたしは、だれが死ぬのも喜ばない――神である主のことば――。だから立ち返って、生きよ。エゼキエル書18章32節
最近若い人が自ら命を絶ってしまうというニュースを聞くことが多くなりました。閉塞感や孤独感を一層強く感じざるを得ない状況の中、苦しい思いで生きている人の心が一層蝕まれてしまっています。
今回は「誰かに届けば」という気持ちで自殺を考えている人をテーマに語ります。
私の平和 ヨハネ14章27節
わたしは、平和をあなたがたに残し、わたしの平和を与える。ヨハネ14章27節
愛を知っている人は戦争をしません。愛の連鎖を起こしましょう。今日、隣人を愛することによって、私たち一人ひとりの心に平和の砦を築きましょう。
信仰の意味 イザヤ61:7
あなたがたは恥に代えて、二倍のものを受け、人々は侮辱に変えて、その分け前に喜び歌う。それゆえ、人々は自分の地で二倍のものを所有し、とこしえの喜びが自分のものとなる。
イザヤ61章7節
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主を待ち望む イザヤ書23章18-19節
先のことに心を留めるな。昔のことに目を留めるな。見よ、わたしは新しいことを行う。今、それが芽生えている。あなたがたはそれを知らないのか。必ず、わたしは荒野に道を、荒地に川を設ける。イザヤ書43章18-19節
神様は、あなたに対してすでに新しいことを始めています。何も起こっていないように見えても、神様は常に働いています。過去に縛られず、誰かの祝福となるために前を向いて歩いていきましょう。主に信頼する者は決して失望する必要はないのです。主の御業に期待して、希望をもって素晴らしい計画の実現を待ち望みましょう。
主は生きておられる 詩編18:46
主は生きておられる。ほむべきかなわが岩。あがむべきかなわが救いの神。
詩篇18篇46節
主のご復活おめでとうございます!
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私は誰か マタイの福音書5章13-16節
あなたがたは地の塩です。もし塩が塩気をなくしたら、何によって塩気をつけるのでしょうか。もう何の役にも立たず、外に投げ捨てられ、人々に踏みつけられるだけです。あなたがたは世の光です。山の上にある町は隠れることができません。また、明かりをともして升の下に置いたりはしません。燭台の上に置きます。そうすれば、家にいるすべての人を照らします。マタイ5:13-16
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私の内のキリスト ガラテヤ人への手紙2章19-21節
しかし私は、神に生きるために、律法によって律法に死にました。私はキリストとともに十字架につけられました。もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。今私が肉において生きているいのちは、私を愛し、私のためにご自分を与えてくださった、神の御子に対する信仰によるのです。私は神の恵みを無にはしません。もし義が律法によって得られるとしたら、それこそ、キリストの死は無意味になってしまいます。
ガラテヤ人への手紙2章19-21節
しかしキリストを信じる者にとって「キリスト」以外に従うべき決まり事など本来一つもありません。キリストは「愛」です。愛に従って生きること、キリストにある愛だけに従って生きること、それがキリストを信じる者が手にしている自由です。キリストといういのちによって生きることが私たちの自由です。
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今を生きる マタイの福音書6章33-34節
まず神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはすべて、それに加えて与えられます。ですから、明日のことまで心配しなくてもよいのです。明日のことは明日が心配します。苦労はその日その日に十分あります。
(マタイの福音書6章33〜34節)
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今生きている救い主 イザヤ書9章6-7節
ひとりのみどりごが私たちのために生まれる。ひとりの男の子が私たちに与えられる。主権はその肩にあり、その名は「不思議な助言者、力ある神、永遠の父、平和の君」と呼ばれる。その主権は増し加わり、その平和は限りなく、ダビデの王座に就いて、その王国を治め、さばきと正義によってこれを堅く立て、これを支える。今よりとこしえまで。万軍の主の熱心がこれを成し遂げる。
イザヤ書9章6-7節
Merry Christmas!! HP Faith Hope Love
真理の父と偽りの父 ヨハネ8章44節
悪魔は初めから人殺しで、真理に立っていません。彼のうちには真理がないからです。悪魔は、偽りを言うとき、自分の本性から話します。なぜなら彼は偽り者、また偽りの父だからです。(ヨハネの福音書8章44節)
サタンは、人に自分は惨めで無価値だと思わせ、未来に失望を抱かせます。また関わる人に対しても信頼を失わせます。しかし、それは真実ではなく「偽り」なのです。
聖書が語る真理は、また神の語る現実は、それを根底から覆すものです。私たちが耳を傾け信頼すべきは、真理を語る言葉です。神は真理の父です。
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信じるということ 詩篇37:5-6
あなたの道を主にゆだねよ。主に信頼せよ。主が成し遂げてくださる。主はあなたの義を光のようにあなたの正しさを真昼のように輝かされる。詩篇37:5-6
今、どんな日を送っていても、人からどんな扱いを受けていても、神の約束は必ず遂げられます。神はあなたに、次のことを約束しておられます。
あなたがたは恥に代えて、二倍のものを受け、人々は侮辱に代えて、その分け前に喜び歌う。それゆえ、人々は自分の地で二倍のものを所有し、とこしえの喜びが自分のものとなる。イザヤ61:7
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信じるゆえに語る 2コリ4:13
「私は信じています。それゆえに語ります」と書かれているとおり、それと同じ信仰の霊を持っている私たちも、信じているゆえに語ります。
コリント人への手紙第二4章13節
説教をテーマに語りました。それこそ聖書の原語から理解するなら、説教とは、宣教です。それは信じる者皆に許された特権だと私は思います。
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愛という注解 1ヨハ4:16
私たちは自分たちに対する神の愛を知り、また信じています。神は愛です。愛のうちにとどまる人は神のうちにとどまり、神もその人のうちにとどまっておられます。
ヨハネの手紙第一4章16節
今回は、私が聖書理解についてこれまで教えられてきたことをシェアしたいと思います。
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終わらない希望 ヨハネ11:1-4
さて、ある人が病気にかかっていた。ベタニアのラザロである。ベタニアはマリアとその姉妹マルタの村であった。このマリアは、主に香油を塗り、自分の髪で主の足をぬぐったマリアで、彼女の兄弟ラザロが病んでいたのである。姉妹たちは、イエスのところに使いを送って言った。「主よ、ご覧ください。あなたが愛しておられる者が病気です。」これを聞いて、イエスは言われた。「この病気は死で終わるものではなく、神の栄光のためのものです。それによって神の子が栄光を受けることになります。」
ヨハネの福音書11章1〜4節
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引き離せない愛 ローマ8:39
だれが、私たちをキリストの愛から引き離すのですか。苦難ですか、苦痛ですか、苦悩ですか、迫害ですか、飢えですか、裸ですか、危険ですか、剣ですか。
こう書かれています。
「あなたのために、私たちは休みなく殺され、屠られる羊と見なされています。」
しかし、これらすべてにおいても、私たちを愛してくださる方によって、私たちは圧倒的な勝利者です。
私はこう確信しています。死も、いのちも、御使いたちも、支配者たちも、今あるものも、後に来るものも、力あるものも、高いところにあるものも、そのほかどんな被造物も、私たちの主キリスト・イエスにある神の愛から、私たちを引き離すことはできません。
ローマ人への手紙8章35-39節
私を知っている神 詩篇139:1-6
主よ あなたは私を探り、 知っておられます
あなたは、私の座るのも立つのも知っておられ 遠くから私の思いを読み取られます。
あなたは私が歩くのも伏すのも見守り 私の道のすべてを知りぬいておられます。
ことばが私の舌にのぼる前に なんと主よ あなたはそのすべてを知っておられます。
あなたは前からうしろから私を取り囲み 御手を私の上に置かれました
そのような知識は私にとって あまりにも不思議 あまりにも高くて 及びもつきません。
詩篇139 1-6節
人が根源的に求めるのは、喜びだけでなく苦しみ、葛藤、生まれてから今日にいたるまでの歩みといった自分のすべてを知り尽くす他者の存在ではないかと思います。聖書は、それが神だと語っています。この神は遥か高みにいる非人格的な存在ではなく、一人一人を個人的に深く知り、個人的に関わりをもち、語り掛け、励ます神です。孤独を感じることがあっても、神は必ず誰よりも傍にいて、決して離れ得ないと聖書は伝えています。
蘇られたキリスト ルカの福音書24章27-34節
Happy Easter!
それからイエスは、モーセやすべての預言者たちから始めて、ご自分について聖書全体に書いてあることを彼らに説き明かされた。彼らは目的の村の近くに来たが、イエスはもっと先まで行きそうな様子であった。彼らが、「一緒にお泊りください。そろそろ夕刻になりますし、日もすでに傾いています」と言って強く勧めたので、イエスは彼らとともに泊まるため、中に入られた。そして彼らと食卓に着くと、イエスはパンを取って神をほめたたえ、裂いて彼らに渡された。すると彼らの目が開かれ、イエスだと分かったが、その姿は見えなくなった。二人は話し合った。「道々お話しくださる間、私たちに聖書を説き明かしてくださる間、私たちの心は内で燃えていたではないか。」二人はただちに立ち上がり、エルサレムに戻った。すると、十一人とその仲間が集まって、「本当に主はよみがえって、シモンに姿を現された」と話していた。
ルカの福音書24:27-34
何が起こっているのかわからない時、私たちに見えているのは織物の裏側かもしれません。しかし時が来て、私たちの人生という織物をさっと裏返すと、本当に美しい模様が神によって描かれていたのだと知る日が、必ず来ます。主は今生きています。
HP(WebマガジンAmor陽だまりの丘、Youtube でもメッセージを届けています) Faith Hope Love
希望の計画 エレミヤ書29章11節
「わたし自身、あなたがたのために立てている計画をよく知っている――主のことば――。それはわざわいではなく平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ。」
エレミヤ書29章11節
私たちの歩む道は、思ったようにはいかないことがあります。しかしその思ったようにはいかなかった苦しみによって、私たちの人生は素晴らしいものになり得る可能性を持っています。希望を見て歩む道、生ける神を見つめて歩む道、それが信仰の道です。神はみことばによって、信じる者に将来と希望を与える計画を約束しています。
真理による自由 ヨハネ8:32
「そして、あなたがたは真理を知り、真理はあなたがたを自由にします。」ヨハネの福音書8章32節
カトリックとプロテスタント(聖書学ではリベラルと保守)両方の神学部で学んだ経験から教会の本質について書きました。教会が一つのキリストの身体となっていくために、考えさせられたことを語りました。
今月FEBCのラジオでお話しさせていただいています こちらから聞けます FEBCSprout!
聖書の核心 イザヤ書43章4節
「わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。」イザヤ書43章4節
今さらながら、自己紹介的なメッセージです。イザヤ書43章4節は、キリスト教の中核、また聖書の中核を成す言葉です。この一言が、私が生涯を通して皆に伝えたい言葉であり、その価値があると思った言葉です。この言葉が、キリスト教の全てを、聖書の全てを表していると言っても過言ではありません。この言葉が、聖書が示す神の全てです。神が人に伝えようとしているメッセージの全てです。
HP Faith Hope Love
まことの光 ヨハネ1:9
すべての人を照らすまことの光が世に来ようとしていた。ヨハネの福音書1章9節
クリスマスはイエス・キリストの誕生を祝う時です。いつもとは違った日常を過ごした今年のクリスマスは特別なものになりそうですね。メリークリスマス♬
礼拝とは ローマ12:1
あなたがたのからだを神に喜ばれる、聖なる生きたささげ物として献げなさい。それこそあなたがたにふさわしい礼拝です。ローマ12:1
礼拝の本質は神とともに生きることです。聖書が語る礼拝についてのメッセージです。
父なる神の愛(ノイズ除去版)
※以前この説教を配信した際ノイズが入ってしまったので撮りなおしました。今度は少し早口になってしまったかもですが・・^^;
「そのように、わたしはあなたを怒らず、あなたを責めないと、わたしは誓う。たとえ山が移り、丘が動いても、わたしの真実の愛はあなたから移らず、わたしの平和の契約は動かない。――あなたをあわれむ方、主は言われる。
イザヤ書54章10節」
計り知れない父親なる神の愛について語りました。人を愛するのには、自分を愛することが必要です。自分を愛するには、自分がどれだけ愛されているかを知る必要があります。自分が「死にたい」と思っていたときの体験も語りました。また牧師家庭、敬虔なキリスト教徒の家庭で育った子供たちの問題にも目を向けてみました。キリストが命を捨てて愛してくださった私たちには、無限の価値があります。
信仰と自由 ガラ2:19-21
しかし私は、神に生きるために、律法によって律法に死にました。私はキリストとともに十字架につけられました。もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。今私が肉において生きているいのちは、私を愛し、私のためにご自分を与えてくださった、神の御子に対する信仰によるのです。私は神の恵みを無にはしません。もし義が律法によって得られるとしたら、それこそ、キリストの死は無意味になってしまいます。
ガラテヤ人への手紙 2章19-21節
律法主義は聖書が最も強く警告していることです。キリストの与えてくださった自由と恵みによって生きること、ただ信じて生きることがキリスト者の特権です。
十字架の意味 1ヨハ4:7-12
十字架の意味を知らなければ、キリストを信じることはできません。キリストがもたらした救いは十字架に示されており、それこそが神の愛の結晶だからです。知っているようでも非常に深遠で、生涯切に追い求めるべきもの、それが十字架です。
愛する者たち。私たちは互いに愛し合いましょう。愛は神から出ているのです。愛がある者はみな神から生まれ、神を知っています。愛のない者は神を知りません。神は愛だからです。神はそのひとり子を世に遣わし、その方によって私たちにいのちを得させてくださいました。それによって神の愛が私たちに示されたのです。私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、宥めのささげ物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです。愛する者たち。神がこれほどまでに私たちを愛してくださったのなら、私たちもまた、互いに愛し合うべきです。いまだかつて神を見た者はいません。私たちが互いに愛し合うなら、神は私たちのうちにとどまり、神の愛が私たちのうちに全うされるのです。
ヨハネの手紙第一 4章7-12節
終わらない希望 ローマ人への手紙5章5節
この希望は失望に終わることがありません。なぜなら、私たちに与えられた聖霊によって、神の愛が私たちの心に注がれているからです。
ローマ人への手紙5章5節
キリストと共に生きようとするならば、必ず試練に出会います。試練に出会うとき、私たちには二つの道があります。さらに希望をもって神を信じ続けるか、あるいは失望やあきらめを抱きながら生きるかです。
神の御手にある時、そこにあるのは問題ではなく、計画です。何物も私たちを神の愛から引き離すことはできません。全てを益とする力のある神がさらに素晴らしい計画を用意していることを信じ続ける歩みが私たちには求められています。
父なる神の愛 イザヤ54:10
※ノイズが入ってしまい、聞きづらかったらすみません
「そのように、わたしはあなたを怒らず、あなたを責めないと、わたしは誓う。たとえ山が移り、丘が動いても、わたしの真実の愛はあなたから移らず、わたしの平和の契約は動かない。――あなたをあわれむ方、主は言われる。
イザヤ書54章10節」
計り知れない父親なる神の愛について語りました。人を愛するのには、自分を愛することが必要です。自分を愛するには、自分がどれだけ愛されているかを知る必要があります。自分が「死にたい」と思っていたときの体験も語りました。また牧師家庭、敬虔なキリスト教徒の家庭で育った子供たちの問題にも目を向けてみました。キリストが命を捨てて愛してくださった私たちには、無限の価値があります。
重荷をゆだねる 詩篇55:22
「あなたの重荷を主にゆだねよ。主があなたを支えてくださる。主は決して正しい者が揺るがされるようにはなさらない。」詩篇55:22
このみことばから、神様に信頼して歩むこと、主はご自身を頼るもの誠実に応えてくださることを語りました。聞いてくださった方が心に平安を得ることができるよう願います。
赦しの力 マタイの福音書18章21-22節
そのとき、ペテロがみもとに来て言った。「主よ。兄弟が私に対して罪を犯した場合、何回赦すべきでしょうか。七回まででしょうか。」イエスは言われた。「わたしは七回までとは言いません。七回を七十倍するまでです。マタイの福音書18章21-22節
イエス様が私たちに示された「無限に赦しなさい。」という言葉について語りました。赦しは私たちの人生を転換させ、自分も、他者をも変える力を持っています。「しかし、これを聞いているあなたがたに、わたしは言います。あなたがたの敵を愛しなさい。あなたがたを憎む者たちに善を行いなさい。あなたがたを呪う者たちを祝福しなさい。あなたがたを侮辱する者たちのために祈りなさい。」ルカ6:27-28
助け主なる聖霊 ヨハネ14:16-17
そしてわたしが父にお願いすると、父はもう一人の助け主をお与えくださり、その助け主がいつまでも、あなたがたとともにいるようにしてくださいます。この方は真理の御霊です。世はこの方を見ることも知ることもないので、受け入れることができません。あなたがたは、この方を知っています。この方はあなたがたとともにおられ、また、あなたがたのうちにおられるようになるのです。 ヨハネの福音書14章16-17節
助け主なる私たちの内なる神、聖霊について語りました。
信仰による歩み 創世記50:20 ローマ8:28
人生の中で、私たちは負の要素に見えるものとどう対峙していけばよいのか、創世記に登場するヨセフの歩みから語りました。
「あなたがたは私に悪を謀りましたが、神はそれを、良いことのための計らいとしてくださいました。それは今日のように、多くの人が生かされるためだったのです。」創世記50章20節
「神を愛する人たち、すなわち、神のご計画にしたがって召された人たちのためには、すべてのことがともに働いて益となることを、私たちは知っています。」ローマ人への手紙8章28節
教会とは 詩篇27:4
一つのことを私は主に願った。それを私は求めている。私のいのちの日の限り主の家に住むことを。主の麗しさに目を注ぎ、その宮で思いを巡らすために。詩編27:4
教会について語りました。教会に馴染みのない方はもちろん、教会につながりのある方も、世界中で礼拝の在り方に変革が起こっている今、ぜひ聞いていただけたら嬉しいメッセージです。
キリストの復活
ルカの福音書24:1-8から、キリストの復活について語りました♬「あなたがたは、どうして生きている方を死人の中に捜すのですか。ここにはおられません。よみがえられたのです。まだガリラヤにいたころ、主がお話しになったことを思い出しなさい。人の子は必ず罪人たちの手に引き渡され、十字架につけられ、三日目によみがえると言われたでしょう。」ルカ24:5-7
聖書とは
聖書という本について、詩篇119篇105節から語りました。「あなたのみことばは 私の足のともしび 私の道の光です。」詩篇119:105
祈りとは
新約聖書のヨハネの手紙第一5章14-15節から、祈りについて語りました。よかったら聞いていただけると嬉しいです。
「何事でも神のみこころにしたがって願うなら、神は聞いてくださるということ、これこそ神に対して私たちが抱いている確信です。私たちが願うことは何でも神が聞いてくださると分かるなら、私たちは、神に願い求めたことをすでに手にしているとわかります。」ヨハネの手紙第一5章14-15節
イエス・キリストとは
新約聖書のコリント人への手紙15章から、キリスト教の要の要である、イエス・キリストについてを語りました。聴いていただけると嬉しいです。「私があなたがたに最も大切なこととして伝えたのは、私も受けたことであって、次のことです。キリストは、聖書に書いてあるとおりに、三日目によみがえられたこと、また、ケファに現れ、それから十二弟子に現れたことです。」コリント人への手紙第一15章3-5節
信仰とは
新約聖書のヘブル人への手紙11章1節から信仰について語りました。キリストに対する信仰のある人生の歩みとはどんなものなのか、聞いていただけると嬉しいです。「信仰は望んでいる事柄を保証し、目に見えないものを確信させるものです。」ヘブル人への手紙11章1節