ぼやき牧師/富田正樹@iChurch.me: 三十番地キリスト教会
By Masaki Tomita
礼拝メッセージ、ショートメッセージ、また対談やインタビュー番組の音声を放送します。
リベラルなキリスト教のお話をお聞きになりたい方はどうぞおいでください。
ぼやき牧師/富田正樹@iChurch.me: 三十番地キリスト教会Sep 04, 2022
【さまざまなパートナー、そしてパートナーのいない人にも】2024年5月5日(日)徳島北教会オンライン礼拝メッセージ by ぼやき牧師|富田正樹
#オンライン礼拝 #徳島北教会 #セクシュアリティ #男と女 #天地創造
聖書の引用……旧約聖書・創世記2章18−25節(人に助け手が造られる)
説き明かし……「さまざまなパートナー、そしてパートナーのいない人にも」by ぼやき牧師|富田正樹
【メッセージの要旨】
主なる神が男と女を造ったという物語は、これまで多くの人を傷つけてきました。ここに男と女を造ったと書いてあるばかりに、人間の性は男と女の間だけで成立するものであり、また女と男以外の存在はありえない、あってはならない、独身でいることも罪である……などといった差別や排除が行われる根拠とされてきたのでした。
この聖書の箇所が、異性愛の麗しい愛を称賛していることは間違いありません。異性愛そのものは悪いものではありません。それはそれで素晴らしいものです。しかし、この聖書の箇所には「だから異性愛以外の性愛は神の意志に反する」とは一言も書かれていません。
つまり、聖書の言葉というのは、それを読んで利用する者が差別意識を持っていれば、差別のために聖書の言葉を使うということもあり得るのです。
また、聖書の中に、同性愛が書かれていないのは、端的に聖書を書いた人たちが生きていた時代や社会において、同性間の対等なカップルの存在が認識されていなかったからに過ぎません。
聖書に書かれていないことは色々あります。電気のことも基本的人権のことも女性の権利のことも、聖書を書いた人たちは知りません。しかし、現在の我々はその存在を知っている。聖書を書いた人たちがそれを知らなかったのは仕方がありません。しかし、現在の私たちが聖書の言葉を根拠に、いま目の前にある存在を否定するなら、それは聖書を読んで解釈する私達自身の姿勢が歪んでいるのでしょう。
ただ、この問題の多い聖書の箇所の中にも、唯一宝物のような言葉があります。それは「助ける者」「助け手」という言葉です。これは「神からの助け」という含みのある言葉であり、危機や苦難にあって人を救ってくれるような存在のことを指します。
相手が恋人であれ、配偶者であれ、友人であれ。お互いの救いとなるような「助け手」と出会えることを願いたいと思います。
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【神の世界を壊したのはわたしたちです】2024年4月14日(日)徳島北教会オンライン礼拝 by ぼやき牧師|富田正樹
#オンライン礼拝 #徳島北教会 #天地創造 #エデンの園 #アダムの創造
聖書の引用……旧約聖書・創世記2章4−9節(アダムの創造とエデンの園)
説き明かし……「神の世界を壊したのはわたしたちです」(富田正樹牧師)
創世記には2つの天地創造物語があり、今回の第2の物語を読みました。
第2の物語では、エデンの園のお話が記してあります。エデンの園が正確にどこにあったのかはわかりませんが、それはこの物語を語り伝えた古代の人たちにとっても、憧れの理想郷であったのであろうと思われます。
そこは、神のご意志どおりに造られた人間と、その人間のために最良のものを用意した世界がありました。そこでは、人間にとって最も基本的なもの、すなわち、しっかりと命の息を呼吸し、命の木をはじめとする、すべての良いものをしっかりと食べることが満たされていました。
しかし、いま私たちは、その世界を汚し、壊し、ないがしろにしてしまい、その結果、自分たち自身の体まで汚し、壊し、ないがしろにしてしまっています。これが神のご意志に反すること、すなわち「罪」なのであろうと思われます。
しかしいま、私たちが「わたしたちは罪人です」と告白する時、それは「私たちはこの世の山積する問題を責任をもって背負ってゆくのです」という宣言になるのです。
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【イエスは誰も肯定しないし、否定もしない】2024年3月17日(日)徳島北教会オンライン礼拝メッセージ by ぼやき牧師|富田正樹
#オンライン礼拝 #徳島北教会 #レント #イエス #香油を注ぐ女
聖書の引用……新約聖書・マルコによる福音書14章3-9節(イエス、ベタニアで香油を注がれる)
説き明かし……「イエスは誰も肯定しないし、否定もしない」(「別れ際にあらわになるもの」を改題)
【メッセージの要旨】
レントには、イエスがこの世を去るときを描いた聖書の箇所が選ばれることが多いです。今回もそのひとつで、ベタニアで1人の女性がイエスの頭に香油を注ぎかけたという出来事のお話です。
この女性の、「頭に香油を注ぎかける」という行為は、当時の人びとに、古代のユダヤで行われていた王の任職式を連想させたでしょう。つまり、この女性は「イエスは私の王です。救い主です」と告白し、宣言したということになります。
これに対して、そこにいた男性たちは、「そんな高い香油は、売れば多くの生活困窮者を助けることができるのに」と憤慨します。
これに対してイエスは、「この女の人を困らせてはいけない。この人は私の埋葬の準備をしてくれたのだ」と言って、女性をかばいます。
かといって、この女性が「イエスは王です」と言ったことについて、イエスが「そのとおりだ」とも言っていません。
当時「油注がれた者」というのは、ローマ帝国の皇帝に抵抗する、もう一人の王、つまり帝国への反乱軍の指導者という意味になりますが、イエスは自分がそうするとは言っていません。ですから、この女性が油を注いだ意味をそのまま肯定したわけではありません。
かといって、そこにいた男性たちのように、「貧しい人たちに施そう」ということを肯定しているわけでもありません。
イエスは誰が自分のことをどうだと言っても、それを肯定はしないのです。つまり、誰もイエスの本当の思い、考え、願いを知りはしないのです。
そのかわりイエスは、誰も否定せず、傷つけないやり方で、自分は私たちの間から去ってゆくという予言だけをします。イエスの本意はわからない。けれども、イエスなしで生きてゆかなくてはいけない未来の予言だけはするのです。
イエスが一緒にいない。それが私たちの人生の現実です。しかし、イエスは一緒にいる。それを祝うのがイースターです。このレントの時期は、イエスなしで生きることの虚しさをしっかりと味わうべきでしょう。
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【すべては女性たちからはじまった】2024年4月7日(日)徳島北教会イースター礼拝説き明かし by ぼやき牧師|富田正樹
#オンライン礼拝 #徳島北教会 #イースター #空の墓 #女性
聖書……新約聖書・マルコによる福音書16章1−8節(女性の弟子たち、空の墓から逃げ出す)
説き明かし……「すべては女性たちからはじまった」
【メッセージの要旨】
マルコによる福音書の「復活」の記事には、肉体が蘇ったイエスの姿が描かれていません。ここに書かれたことは、出来事としては、
(1)お墓が空っぽだったこと、
(2)「ガリラヤに行けばイエスに会える」と言われていること、
(3)そしてこのメッセージは女性たちしか知らないということです。
「ガリラヤに行けばイエスに会える」とはどういうことでしょうか。ガリラヤとは、イエスが生まれ育ち、活動の大半を行ったところです。そこでは重税にあえぎ、貧困のせいで栄養失調や病気がひろがり、政治家や地主に苦しめながらも、必死に助け合いながら人びとが生きていた場所でした。
そういうところで、イエスは人を教え、癒やし、食事を与えていました。そして、その活動を受け継ぎ、イエスの教えを宣べ伝える集団がガリラヤには残っていました。そこに行けば、イエスのメッセージと活動が今も生きている。イエスが今もそこに生きている。それがマルコのメッセージです。
加えて、ガリラヤに行けばイエスに会えるということは、女性たちしか知らない。そして彼女たちは誰にも何も言っていない。ということは、エルサレムに残り、教会を立ち上げたペトロなど男性の弟子たちとは、全く違った動きを女性たちがしたということになります。
女性の弟子たちは、生命の危機にさらされながらもイエスのそばにとどまった人たちでした。その女性たちこそがイエスの真の理解者であるとは、近年の神学で明らかにされてきたことです。
このマルコのメッセージを受け取って、私たちはどう考えるべきなのでしょうか……。
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【生まれてくれてありがとう】2023年12月24日(日)徳島北教会クリスマス礼拝メッセージ by ぼやき牧師|富田正樹
#オンライン礼拝 #徳島北教会 #クリスマス #マリア #イエス
徳島北教会クリスマス礼拝 2023年12月24日(日)
聖書の引用……ルカによる福音書1章26-38節(受胎告知)
【メッセージの要旨】
クリスマス、おめでとうございます。
今日はナザレの少女マリアのところに天使ガブリエルがやってきて、マリアのお腹の中に子どもがいるよということを告げ知らせに来たお話を読みました。
マリアは自分の妊娠を知って、恐れおののいたと思います。なぜなら、結婚しないのにお腹が大きくなってゆく自分をナザレの村人たちが見た時、自分も自分の子も命の危険にさらされることが容易に予想されたからです。
しかし、マリアはわが子を産む決断をしました。それは、気に入らない、望まない子どもだったら簡単に捨ててもいいんだという世の中に対する抵抗の意味を持っていたのかもしれません。
そして、そんなマリアを支えたのは、ヨセフという男性の寄り添いあってのことでもありました。ヨセフも、血縁にしばられた家父長制に対して、ステップファミリーという形で抵抗した人だったのかもしれません。
そういう両親のもとでイエスは生まれ、育てられました。もちろん両親と共に人から蔑まれる養育期を送ったかもしれません。しかし、だからこそイエスは人の苦しみ、悩み、痛みを受け止めてくれる人になったのではないでしょうか。
ですから私はマリアに言いたい。「産んでくれてありがとう」と。
そしてイエスに言いたい。「生まれてくれてありがとう」と。
そして皆さんに言いたい。「生きていてくれてありがとうございます」。
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【今日が人生でいちばん若い日】2024年1月21日(日)徳島北教会オンライン礼拝メッセージ by ぼやき牧師|富田正樹
#オンライン礼拝 #徳島北教会 #アブラハム #イスラエル #召命
聖書……創世記12章1-9節(アブラム、召命を受けてカナンに入る)
説き明かし……「今日が人生でいちばん若い日」by ぼやき牧師|富田正樹
【メッセージの要旨】
アブラム(アブラハム)は75歳になって、全く新しい人生に踏み出すよう神に呼び出されます。
それは「地上のすべての氏族が、あなたによって祝福に入る」というものでした。つまり、「すべての人が神さまから幸せを与えられるように、あなたが奉仕しなさい」と、そのためにあなたは選ばれたのだということです。
この聖書の箇所は「あなたとあなたの子孫にこの地(カナン地方=パレスチナ)を与える」という言葉が含まれて、問題の多いところではありますが、旧約から新約にかけての長い間、聖書を通じてもっぱら大事なこととして伝えられてきたのは、「あなたはすべての民族の幸福のために役立つように」という神の教えの方だったのです。
アブラムは高齢になってから、この役割、生き方に呼び出されました。私たちも、何歳になっても、誰かのためになれるような人生に歩みだすことができます。
とはいえ、大したことは私たちにはできません。ただ、私たちは単に生きているだけでも、実は人の役に立っているのです。
それは人が亡くなったときに、どんなに周囲の人が動揺するかを考えればわかります。その人が亡くなったときに、その人がいなくなったことの悲しみや嘆きがわき起こります。つまり、生きているだけで周囲の人たちが何事もなく、当たり前のように生きてゆける。私が生きているというだけで、生きているのが当たり前という日常を送ることに役立っているのです。
そして、そこにほんの1ミリでも何か、人のために付け加えることができるならば、じゅうぶんアブラムに与えられた召命と同じ役割を、私たちは果たせるのではないでしょうか。
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【愛も休み休みにしろ】2023年10月15日(日)徳島北教会オンライン礼拝メッセージ by ぼやき牧師|富田正樹
#オンライン礼拝 #徳島北教会 #休み
聖書……創世記2章1−3節(神は7日目に休まれた)
説き明かし……「愛も休み休みにしろ」by ぼやき牧師|富田正樹
【メッセージの要旨】
「神が6日目に仕事を終えて、7日目をお休みにした。だから我々も7日目には休もう」というのは、画期的な発明であったと思います。それまでは労働者も奴隷も、休みなく働かされていました。しかし、週に1日は休みを取ったほうが、実は生産性があがるのだということを、古代イスラエルの祭司たちは発見したのでした。
しかし、現代でも、休みというものが絶対に取れない仕事はあります。それは「母親」という仕事です。もしその人たちに週に1度でも完全休養日というものがあれば、どんなに子どもたちも傷つかずに済むでしょう。
愛する仕事にも休みは必要です。休むということがなければ、愛するということも十分にはできません。ですから、愛も休み休みに行わないと、長くは続かないのです。
ところで、イエス様は「私のところに来なさい。休ませてあげよう」と言っているのに、ご自身は全く休まれている気配がありません。「イエスさま、どうぞ私たちと一緒に休んでください」と祈るのも、ひとつの信仰の形ではないかと思うのですが、いかがでしょうか。
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【愛せない奴こそ愛される】2023年10月8日(日)枚方くずは教会オンライン礼拝宣教 by ぼやき牧師|富田正樹
#オンライン礼拝 #枚方くずは教会 #山上の説教
聖書の箇所……新約聖書・マタイによる福音書5章3節(心の貧しい人々は幸いである)
宣教題……「愛せない奴こそ愛される」
【メッセージの要旨】
ルカによる福音書には「貧しい人々は幸い」と書いてあるのに、マタイによる福音書には「心の貧しい人々は幸い」と書いてあります。この「心の貧しい者」という言葉は原語では「霊において貧しい者」となります。
貧困という社会的現実のなかで「貧しい者は幸いだ」と叫んだイエスにはリアリティがあります。しかし、マタイが主張した「霊において貧しい者は幸いだ」という言葉も、大切なメッセージです。
「霊において貧しい」とは「へりくだった者」という解釈もありますが、私は「霊において飢えている者」「貧困なる精神」の持ち主という読み方もできるのではないかと思います。
「貧困なる精神」とは、人のことより自分のことを優先してばかり、愛するよりも愛されることばかり求めてしまう精神。人を愛せない。人として大切な何かが欠けている人のことではないでしょうか。
しかし、マタイはそのような「愛の欠けた人間」が幸いだとイエスに言わせています。愛を知らない人こそが愛されるべきではないかというのです。愛に飢えた人こそが愛される。神はそういう人こそ愛する。
そんなマタイが説くイエスの愛を信じてみても良いのではないでしょうか。
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【すべてを造ったことの意味】2023年9月17日(日)徳島北教会オンライン礼拝説き明かし by ぼやき牧師|富田正樹
#オンライン礼拝 #徳島北教会 #天地創造
聖書の箇所……創世記1章1節〜2章3節(第1の天地創造の物語)
説き明かし……「すべてを造ったことの意味」
【メッセージの要旨】
旧約聖書の1番最初には2つの天地創造の物語が並べられています。そのうち今日は最初の1つをお読みしました。
第1の天地創造物語では、神さまは6日間でこの世を造られ、その6日目に人間を「男と女に創造された」と書いてあります。
この聖書の箇所を引用して、あるクリスチャンの人たちは、「だから人間には男と女しかいない、いてはならない」と言って、ノンバイナリーやXジェンダーの存在を否定します。現実に存在している人間を、聖書を使って否定するのですね。これは聖書による暴力であり、虐待であり、聖書によって人を殴りつける行為です。
神が「天地を」を創造されたと書いてあるところが「すべてを」創造したということを象徴している言葉であるのと同じように、神が「昼と夜を」を創造したといういうことは「すべての時を」創造したということを意味します。
そして、神が「男と女を」創造したということは、「すべての人間」「全ての性を」創造したということを意味するのです。
神は複数形で「われわれにかたどり」人間を創造したとも書いてあります。私たちは「われわれ」という集合体において「神のかたち」になります。人はひとりではなく、共に生きることで「神のかたち」になります。
すべての人があるがままに「神のかたち」として認められる世の中であることを聖書は示しているのです。
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【小さな命を守れなければ】2023年8月6日(日)徳島北教会オンライン礼拝メッセージ by ぼやき牧師|富田正樹
#オンライン礼拝 #徳島北教会 #平和聖日 #平和 #戦争 #命
平和聖日礼拝
聖書……旧約聖書・詩編147編10−11節(主は馬の勇ましさを喜ばれない)
説き明かし……「小さな命を守れなければ」by ぼやき牧師|富田正樹
【メッセージの要旨】
「バーベンハイマー」という言葉がここ数日流行したのをご存知でしょうか。2023年7月21日に同日公開された『バービー』というコメディと、『オッペンハイマー』という原爆を開発者の伝記映画の題名を組み合わせたものです。原爆をお笑いのネタにする悪ふざけにしたことを表す言葉です。
アメリカでは原子爆弾は第二次世界大戦を終わらせた良いものであるという認識が強いようです。日本にいる我々とは全く違います。この分断を生んだ戦争、そして戦争を命令する為政者に対する怒りを禁じえません。
広島では平和教材から『はだしのゲン』が削除されるという事件も起きました。「現在の生徒の生活の実態に合わない」との理由だそうですが、合わないのは当たり前で、いかに現在と違う実態であったかということを知らせることに意味があるのではないでしょうか。
これも、広島で行われた核保有国が集まるサミットに忖度したものではないかとも言われています。
今日の聖書の箇所には「主は馬の勇ましさを喜ばれない」とあります。「馬」は戦争の象徴です。古代においてもっぱら馬を重用するのは軍隊だからです。
イエスさまはエルサレムに入城するとき、子ロバに乗りました。ロバは平和の象徴だからです。イエスは平和の王として入場したわけです。
主なる神は決して、馬の勇ましさ、つまり戦争を喜ばれないということなのです。
しかし、平和を守るために私たちは何をすればいいのでしょうか。
平和について、言葉にできる限りを人に伝えることでしょうか。選挙で意思表示をすることでしょうか。痛めつけられても不服従を貫くことでしょうか。
いずれにしろ、日本基督教団が熱狂的に大日本帝国の戦争を支持した時、教団の中にもホーリネスのように最後まで戦争に反対し、抵抗し続けた人たちがいたことは、同じように私たちが実行できるかどうかはともかく、覚えておかなくてはいけないでしょう。
日本基督教団が戦争責任告白を表したのは、第二次大戦終結後20年経ってからのことでした。その時でさえ、総会は紛糾したと伝え聞いています。
この戦争責任告白の朗読をお聴きください。
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【罪のない方はいらっしゃいますか】2023年7月16日(日)徳島北教会オンライン礼拝 by ぼやき牧師|富田正樹
#オンライン礼拝 #徳島北教会 #罪 #悪 #ゆるし
聖書の引用……ヨハネによる福音書8章1-11節(姦通の現場で捉えられた女性の話)
【お話の要旨】
「罪」と「悪」は、別物のように言われることもあれば、似たようなニュアンスで使われるときもあります。
今日の聖書の箇所は有名な「姦通の現場で捉えられた女性」の話ですが、ここでは「罪はないけれど、悪意のある人」と「罪はあるけれど、悪意の無い人」が登場していると思われます。
姦通の現場で女性を捕まえて、連れてきたファリサイ派や律法学者たちは、たしかに罪は犯していません。しかし彼らの言動には明らかに悪意があります。
これに対して、連れてこられた女性は、罪は犯したかもしれませんが、悪意があったかどうかはわかりません。ひょっとしたら悪意はなく、やむを得ずそういう行為に至ったかもしれない。
イエスは、男たちに「お前たちに悪は無いのか」と問いかけます。その問は私達にも向けられたものです。
そしてその一方で、この女性に対しては「あなたは罪を犯したかもしれないけれども、あなたに悪はない」と呼びかけたのではないでしょうか。
イエスは「罪」を赦す方です。しかし「悪」に対しては問いを投げかける方です。「次も悪を犯しなさい」とは言いません。
私達は「罪と罰」の負のループから自由にされています。あとは自分の人生を、神さまが望んだ方向へと、少しずつでも進めてゆくことが求められているのではないでしょうか。
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【解放へのオガリ】2023年7月2日(日)徳島北教会オンライン礼拝メッセージ by ぼやき牧師|富田正樹
#オンライン礼拝 #徳島北教会 #部落解放 #解放へのオガリ #金城実
徳島北教会「部落解放祈りの日」礼拝
聖書の箇所……ヨハネによる福音書1章43−46節(ナザレから何か良いものが出るだろうか)
【メッセージの要旨】
数年前まで大阪市住吉区に「解放へのオガリ」という巨大な彫刻が掲げられていました。「オガリ」とは住吉の言葉で「叫び」というような意味があります。つまり、「解放へのオガリ」とは「解放への叫び」です。
この作品を作ったのは金城実さんという彫刻家で、かつて大阪で夜間中学の教師をつとめていたとき、住吉の部落や在日コリアンの人たちと連帯するなかで、この作品ができあがっていったそうです。
その金城さんが昨2022年、全国水平社創立100周年の年に、「水平社宣言」の琉球語訳を出されました。その中で、「エタ」という差別用語は「土人」とされているそうです。ヤマトの人間(日本人)が部落出身者を「エタ」と呼ぶのと、琉球の人を「土人」と呼ぶ、この差別する心はつながっているというのです。
思えば、イエスも出身地差別を受けている人でした。彼はナザレの出身だというだけで、ろくでもない人間だと扱われていました。
そして、彼の生涯と復活は、そのような差別から人を解放する「オガリ」であったとも言えます。
私たちはこの「オガリ」に問われています。「オガリ」をぶつけられるだけの人間なのか、それとも「オガリ」に連帯する者となるのか、問われているのです。
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【愛には実践が伴わなくてもいいか】2023年6月25日(日)枚方くずは教会宣教 by ぼやき牧師|富田正樹
#オンライン礼拝 #枚方くずは教会 #愛 #実践
聖書の箇所……新約聖書・ガラテヤの信徒への手紙5章6節
【宣教要旨】
パウロは「愛の実践を伴う信仰こそ大切です」と言います(新共同訳)。これは「行いなどなくても、ただ心で信じて口で告白すれば救われる」という、いわゆる「信仰義認」と呼ばれるパウロの考え方とは矛盾するように感じられます。
しかし、この言葉は、他の文脈で一生懸命に語っているパウロの口からポッと出た本音なのかもしれません。パウロは本心では、信仰には愛の実践が必要だと、どこかで思っていたのではないでしょうか。
「信仰には愛の実践が必要」……このように言われると、気後れしてしまう人もいるかもしれません。愛の実践には、スキルと実行力と経験が必要なのではないか。そんなものを持ち合わせていない自分はどうすればいいのか。
いや、しかしこの世で私たちが行うすべての仕事や役割は、愛の実践だと考えることができるのではないでしょうか。そして私たちは「うまく人を愛することができない」、「自分のやっていることが愛になっていない」と悔しい思いを日々しているのではないでしょうか。
力の無いことが責められてはなりませんが、誰かが力を発揮しないといけないときもあるのではないでしょうか。
ですから、わたしたちはできることをやらなければならないのです。若い者は若いなりに力を発揮し、病んだ人や老いた人は祈ることが実践となります。自分にできることをやる。それが、パウロが口走った「愛の実践を伴う信仰」の土台を作るものではないでしょうか。
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【あなたではなく、神の方があなたに望んでいる】2023年5月7日(日)徳島北教会オンライン礼拝説き明かし by ぼやき牧師|富田正樹
聖書の引用……創世記12章1−4節(アブラムの召命:アブラム、主に「私が示す地に行きなさい」と言われてしまう)
説き明かし……「あなたではなく、神の方があなたに望んでいる」by ぼやき牧師|富田正樹
#オンライン礼拝 #徳島北教会 #アブラハム #フェーズ #転機
【説き明かしの要旨】
アブラム(アブラハム)は突然、主(神)から、「わたしが示す地に行きなさい」と言われてしまいます。75歳にもなって人生の新しい局面を迎える。全く新しい道に進めと言われてしまうわけです。
これと同じように、私たちも思いがけず、自分が望んでいたわけではない人生の局面へと叩き込まれてしまうときがあります。
予想もしなかった人生の局面、特に大きな悲しみや苦しみに直面した時、私たちは「神は何を考えておられるのか」、「神の御心はどこにあるのか」と問いかけたくなります。
しかし、神は答えをくださいません。神は答えを与えてくださらないのです。私たちには神が何を考えておられるのかわかりません。
神は「答え」を与える方ではありません。むしろ「問い」を与える方です。神は「答え」ではなく「問い」をもって私たちを導く、一級の教育者なのでしょう。
私たちは自分の人生に何かを期待することはできません。そうではなく、「この人生の危機の局面において、あなたはどう生き切るのか」と期待されているのです。
そして、その「問い」や「期待」に対して、私たちがどのような「答え」を出そうとも、神はその「答え」を受け止め、祝福してくださるでしょう。
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【わたしが再び立ち上がる日】2023年4月9日(日)徳島北教会イースター礼拝説き明かし by ぼやき牧師|富田正樹
聖書の箇所……新約聖書マルコによる福音書16章1−8節(イエス、起こされる)
最初の福音書であるマルコによる福音書の復活物語は、墓が空になっており、それを見た女性たちが恐れおののいて逃げ出すところで終わっています。肉体として蘇ったイエスのことは何ひとつ語られてはいません。
空の墓の中にいた若者は「ガリラヤに行けばイエスにお目にかかれる」と言います。ガリラヤとはイエスの「神の国運動」の始まった地であり、ほとんどの舞台でもあります。つまり、ガリラヤとはイエスの原点であった場所です。その原点に戻れば、あなたもイエスと出会い直せるだろう、とこの若者は言うのです。
イエスの「神の国運動」すなわち、貧しい者が食べ、病んでいる者が癒やされ、虐げられている者が引き上げられる、そしてやがてこの世が完成する日のことを説く。その活動が、ガリラヤでイエスの遺志を受け継いで行われている場所で、私たちはイエスの面影を発見するのです。
イエスは文字通りには「引き上げられた」と書かれています。誰が引き上げたのか。それは神だというのは教科書的な答えです。しかし、別の意味でイエスは、イエスを失った「神の国運動」の継承者たちの間に蘇ったのだとは言えないでしょう。すなわち、「イエスの生涯はここで終わりはしない」「断じて終わらせてはならない」という思いが、イエスを引き上げたのではないでしょうか。
ということは、「引き上げられる」というのは、イエスだけにとどまることではないということも言えます。引き上げられたイエスが私たちの間に宿り、私たち自身が新しくされ、息を吹き返すことでなければ意味はありません。
イエスと共に、私自身の人生も新しくされる。私が再び立ち上がる日。それがイースターです。
#オンライン礼拝 #徳島北教会 #イースター #復活 #再起
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【友を愛することと敵を愛すること】2023年3月5日(日)徳島北教会オンライン礼拝説き明かし by ぼやき牧師|富田正樹
聖書……ヨハネによる福音書15章11−17節(互いに愛し合いなさい。あなたがたはわたしの友である)
説き明かし……「友を愛することと敵を愛すること」by ぼやき牧師|富田正樹
「互いに愛し合いなさい」、「あなたがたはわたしの友である」、「わたしがあなたがたを選んだ」、「友のために命を捨てることほど大きな愛はない」という、クリスチャンのメンタリティを大きく形作っているような言葉が並ぶ聖書の箇所を今日は読みました。
受難節にイエスの遺言のような言葉はないかと探していたのですが、ここはどうやら本当はイエス自身の言葉ではないようです。むしろ、イエスよりもだいぶ後の教会の人たちが書き加えた部分だということがわかっています。
「友のために命を捨てる」ということ自体ショッキングな勧めですが、イエスはもっとその先を行っており、「敵を愛し、迫害する者のために祈れ」と言うのです。そして、イエス的な観点から見れば、「友を愛する」ということは「友でない者は愛さない」、つまり仲間内だけで愛し合おうという、内向きで閉鎖的な愛を指していると言えないこともないのです。
私たちは、イエスのように「敵を愛する」道を進むべきなのでしょうか。それとも、後の教会の言うように「友を愛する」ようにすればよいのでしょうか。
「どちらも大切」というのが私のスタンスです。私たちは教会からこの世に派遣され、日毎のわざに戻ってゆくのですが、それはひょっとしたら「狼の群れの中に放り込まれる羊」のような状況かもしれません。そのような厳しい日常の中で、「敵を愛する」のは孤独な心では不可能です。
「共に愛し合う」仲間がいなければ、敵を愛する力は湧いてきません。ですから、この世に派遣される前に、教会は互いに愛し合うものでなくてはならないのではないでしょうか。
#オンライン礼拝
#徳島北教会
#レント
#友を愛する
#敵を愛する
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【少なければ少ないほどいい】2023年2月19日(日)徳島北教会オンライン礼拝説き明かし by ぼやき牧師|富田正樹
#オンライン礼拝 #徳島北教会 #5000人の給食 #愛餐
聖書の箇所……新約聖書・ヨハネによる福音書6章1-15節(5000人に食べ物を与える)
説き明かし……「少なければ少ないほどいい」(富田正樹牧師)
【概要】
5000人の人に食べ物を与えるお話は、4つの福音書全てに収められています。ですから、この物語は初期のキリスト教会にとって、とても大切なものだったのでしょう。
この出来事が実際に書かれた通り起こったと考えるのは難しいことです。ただ、イエスが生前、自分の出会ったどんな人たちとも一緒に飯を食い、みんなでお腹が満たされるということを大事にしており、それをイエス亡き後の初代教会も引き継いだということなのでしょう。
ヨハネによる福音書だけに「5つのパンと2匹の魚」を持っていたのが1人の少年だったということが書かれています。そして、これを差し出した少年の行いを見て、周囲の大人たちも自分たちの持っていたものを差し出したのだ、という推測もあります。
その推測は楽しいものですが、ひょっとしたら初期の教会の食事は、そんな風にみんなが持ち寄った少ないものを、そこにいる者たちで分け合って食べた、そして心が満腹したということなのかもしれません。
それは有り余るものではなく、少ないものだったからよかったのではないでしょうか。
このヨハネの物語では、最後に「人々がイエスを王にしようとしたが、イエスは山に退いた」という出来事が記されています。つまり、イエスは王になることを拒んだのです。
これは、同じヨハネによる福音書15章に記されているように、イエスが私たちを「友」と呼んだことともつながっています。イエスは自分の周りの人を「下僕」にしたり、「奴隷」にしたり、「兵士」にしたりしたくなかったのです。イエスは私たちを友と呼びました。そして、王のように大きな存在になりたくなかったのです。
私たちも、イエスと一緒に「小さな存在」として「少ないもの」を分け合う生き方をしてゆきましょう。
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【種の蒔き方がおかしい農夫の話】2023年2月5日(日)徳島北教会オンライン礼拝メッセージ by ぼやき牧師|富田正樹
聖書の箇所……ルカによる福音書8章4-8節(「種を蒔く人」のたとえ)
種を蒔く人のたとえは、話の後に説明までついている珍しいたとえ話です。しかし、この説明は、いったん逃げて、それからおめおめと戻ってきた12人の男性の弟子たちが作った物語のように思えます。イエスは単に「種を蒔く人が種蒔きに出て行った……」というたとえを話されただけのようなのです。
弟子たちが捏造した解釈の方では、「神さまの言葉を受け取ったら、良い土地に蒔かれた種のように、善い心でそれを守り、忍耐して実を結びなさいよ」という教訓のように受け取られます。しかし、それでは「良い土地」になりきれない人間はどうなるのでしょうか。
それに、神の言葉を受け入れてくれない人を、「あの人たちは悪い土地のおうな人なのだ」と裁くことになってしまうのではないでしょうか。
しかし、それらはみな、自分たちを種を蒔かれる側の受け身に置いている解釈です。一度、自分は種蒔きなのかも知れないと考えてみてはいかがでしょうか。私たちは相手がどんな人間でも、愛の種を蒔いているでしょうか。
神は私たちがどんな状況でも、あるいはどんなに神の言葉を無駄にしてしまっても、愛の種を蒔き続けてくれるのではないでしょうか。それならば私たちも懲りずに種を蒔き続けようと思ってもよいのではないでしょうか。
たとえ話はいろいろな解釈が可能です。イエスはただ「種蒔きが種を色々なところに蒔いた」という話をしただけです。あなたは、この「種」が何だと思いますか? 「種蒔き」とは何のことだと思いますか?
#オンライン礼拝 #徳島北教会 #種蒔き
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【逃げ道の無い試練にも出口はある】2023年1月28日(日)徳島北教会主日礼拝説き明かし by ぼやき牧師|富田正樹
聖書の引用……新約聖書コリントの信徒への手紙(一)10章13節(耐えられないような試練と逃げ道)
説き明かし……「逃げ道の無い試練にも出口はある」by ぼやき牧師|富田正樹
「あなたがたを襲った試練で、人間として耐えられないようなものはない。神は耐えられないような試練に遭わせるようなことはなさらず、それに耐えられるよう逃れる道をも備えていてくださる」という言葉をアスリートの人たちが口にすることがあります。聖書の言葉だということを知らずに使っている人がほとんどだと思います。
その場合、「人間には耐えられない試練など無いのだ」と人を追い込む形で使われることが多いのだろうと思います。しかし、この言葉には「逃れる道もある」という一言が含まれています。逃れてもいいのだということが言われているのです。
しかし、人生には逃れようとしても、どうしても逃れることのできない苦悩というものがあります。特に自分の命や自分の愛する人の命が失われようとしている時、あるいは失われてしまった時、私たちはどのように祈ればよいのでしょうか。「神さま、あなたはなんと残酷な方なのか」と怒りをぶつければいいのでしょうか。
「逃れる道」と訳されている言葉は「出口」という意味も持ちます。トンネルのような暗闇にも出口が用意されているというのです。トンネルとは孤立や絶望のことではないでしょうか。しかし、孤立や絶望にも出口が必ずあるというのです。
ひょっとしたら出口の先にも苦しみは続くのかもしれない。しかし、出口にはキリストが待っているのではないか。キリストが待っているところ、そこが出口ではないか。そして、そこからはキリストが一緒に苦しんでくださり、一緒に歩んでくださるのではないかと思われるのですが、いかがでしょうか。
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#オンライン礼拝 #徳島北教会 #試練
【お正月おつかれさま。おかえりなさい】2023年1月8日(日)徳島北教会新年礼拝説き明かし オンライン礼拝 by ぼやき牧師|富田正樹
徳島北教会 新年礼拝 説き明かし
『お正月おつかれさま、おかえりなさい』
聖書の箇所……新約聖書・使徒言行録17章22-29節(「知られざる神に」)
皆さま、あけましておめでとうございます。
お正月お疲れさまでした。ようこそ教会におかえりなさい。お正月は家族が集って楽しい思いをする人もいれば、長男や長男の妻はしんどい役割を強いられ、疲弊してしまう人もいる、複雑な季節です。
日本人は「私は無宗教だ」と言うわりには非常に信仰熱心です。私の父親は亡くなる間際に病床洗礼を受けたクリスチャンですが、母親と弟が数十万円払って戒名と位牌を作り、無理やりお寺で供養してもらうように手はずを整えてしまいました。
しかし、初詣や墓参りに熱心な人たちも、同じ神さまの中にいるのだと考えることが、私たちにはできます。この世の全てが神であり、全ての存在が神の内にいるという考え方(汎神論)もキリスト教の中にあり、こう考えると、様々な宗教も最終的には1つの神のもとへと収まってゆくようにみなすこともできるのです。
1人の神を拝む一神教と、全てのものそれぞれに神が宿ると考える多神教とでは全く違うと言われますが、全てが神の中にあるのだと考えれば、全てのものに神の霊がやどっているという感覚は、そんなにかけ離れたものではないようにも思われるのです。
パウロはアレオパゴスで面白いことを言っています。「『知られざる神』と周囲の人が呼んでいるものは、実は私が信じている神と同じなのだ」と言うのです。こんな具合にパウロは、多神教の人たちの信仰を、自分の信仰に絡め取ってしまうのです。このパウロの態度から得るものは、多神教的文化に囲まれて生きているクリスチャンに取って大きいと言えます。
ことさらに周囲の宗教と波風を立てることなく、お互いに祈る心を大切しながら、共存してゆきましょう。
#オンライン礼拝 #徳島北教会 #新年礼拝
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【闇の世に美しい星を見つけよう】2022年12月25日(日)徳島北教会クリスマス礼拝 by ぼやき牧師|富田正樹
クリスマスおめでとうございます。
クリスマスを祝いつつ、戦禍の中にいる人、困窮している人、病の中にある人などのことを思い、祈らなければならない私たちです。
世の中には構造的暴力というものがあります。貧困や格差のある社会、差別のある社会、ハラスメントのある社会……そういった社会の中に組み込まれてしまっている暴力のことを構造的暴力と言います。
今日の聖書の物語の主人公である羊飼いたちも、まさにこの構造的暴力の被害者でした。
しかし、救い主の誕生の知らせは、真っ先にこのような人たちのところにやってきます。そして天使たちは言います。「天には栄光、神にあれ。地には平和、御心に適う人にあれ」と。
「御心に適う人」というと、まるで御心に適わない人がいるようで、ちょっと嫌な翻訳です。これは実際には「(神に)喜ばれる人たち」と書いてあるだけであり、どんな人でも神は喜んでおいでになるのだから、要するに「誰でも」という意味なのです。
実際「すべての民の喜びの知らせ」とも書いてあるように、神にとってはすべての人間が喜びの対象なのです。
羊飼いたちは救い主にあって、構造的暴力に対する平和のメッセージを受け取り、どう変わったのでしょうか……。
#オンライン礼拝 #徳島北教会 #クリスマス #星 #羊飼い
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【天国にいるお父ちゃん】2022年11月27日(日)枚方くずは教会アドヴェント第1礼拝宣教 by ぼやき牧師|富田正樹
#アドヴェント #枚方くずは教会 #アッバ
聖書の言葉……マタイによる福音書6章9−13節(主の祈り)
アドヴェントでは、よく「あなたの御子イエス・キリストのご誕生」という言葉を祈りの中で使います。この場合、「あなた」というのは当然神さまのことを指しているわけですが。この「あなた」を「父なる神」と呼ぶことに抵抗を感じておられる方はおられるでしょうか。
神が男であるということに抵抗を感じられる方がいらっしゃるかも知れません。確かに、キリスト教会の世界でも男中心社会であることは否めません。教会員の中には女性の方が多いのにもかかわらず、役員は男ばかりだったり、大事な意志決定は男に任されていたり、著名な神学者はお爺さんばかり、教区総会、教団総会でも並ぶのは男ばかり。教会はまだまだ男性社会です。そんな男性社会の根底にあるのが、「男である神」という観念ではないかという考え方もあります。
しかし、問題はイエス自身が神を「父」と呼んだことです。これは揺るぎのない事実です。ですから、イエスに倣って神を「父なる神」と呼んでも非難されるべきことではないとも言えます。
ただ、当時の社会においては、これだけでもかなり破壊的なインパクトのある呼び方でした。当時、神のことを「王」、「主」、「夫」と呼ぶことはあっても「父よ」と呼ぶ者は誰もいませんでした。それを「父」と呼んだということは、自分が神の子であると自称することになり、とんでもない冒涜だと受け取られたのです。イエスの神の捉え方は、現代のフェミニズム的に見ると、大変物足りないものかもしれませんが、当時としては革命的だったのです。
イエスが神を何と呼んだでしょうか。それは「アッバ」です。これは幼児語です。現代語で言えば「パパ」「父ちゃん」というところでしょうか。イエスは神を「パパ」と呼んだのです。私たちは神さまのことを「パパ」と呼べるでしょうか?
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【人生終えても宝物】2022年11月20日(日)徳島北教会 永眠者記念礼拝説き明かし by ぼやき牧師|富田正樹
#永眠者記念礼拝 #徳島北教会 #永遠の命
聖書の箇所……ヨハネによる福音書17章3節(新約聖書:新共同訳 p.202、聖書協会共同訳 p.197)
「永遠の命」は「永久に生きること」ではありません。それは、神さまの命そのものであり、私たちはその神さまの命の一部を生きさせていただいているのです。
私たちひとりひとりはバラバラの独立した命を生きているように思っていても、実は同じ神さまから命を与えられています。ひとりひとりの命は始まりがあり終わりがあります。しかし、自分は永遠の命の一部を生きている。逆に言うと、私たちの命が神の永遠の命を構成している。それを知ることが永遠の命を得るということなのではないでしょうか。
私たちの人生は短くても、長くても、その命は同じように神に愛された天の宝です。
こんな言葉があります。
「子どもは天の宝物
大人も天の宝物
年をとっても宝物
人生終えても宝物」
人生を終えたとしても、私たちは神のもとでゆっくりと休める。愛されていつまでも神のもとで憩うことができるのです。
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【沖縄は怒っている】2022年10月30日(日)徳島北教会主日礼拝説き明かし by ぼやき牧師|富田正樹
聖書……イザヤ書57章18−19節(平和、平和。遠くにいる人にも、近くにいる人にも)
説き明かし……「沖縄は怒っている」
沖縄に行ってきました。3泊4日で沖縄戦のことや現在の基地の問題などを学びに行きたいと思っていましたが、3泊4日ではとても「わかる」ことなどできない、「自分は何もわかっていなかった」ということばかりが思い知らされる旅でした。
本当に何もわかっていなかったのです。沖縄戦で驚くほど多くの人の命が奪われたこと。米軍だけでなく、むしろ日本軍によって殺された琉球の人たちの酷い真実。そして、今、基地周辺で生活に支障をきたしている人たちのこと。
しかし同時に、考えうる限りのあらゆる努力と工夫と知恵によって基地の土地の返還を成功させ、アメリカ政府にも大和政府にも相対して抵抗する自治体があることも知りました。
沖縄では信仰と政治が密接に結びついていることを痛感しました。基地を容認するか、撤去するか、それが政治に反映されるため、基地反対派の政治家の当選を直接祈るということもされます。教会でも選挙の話でもちきりです。ここまで政治に関心を持つキリスト教会は日本では珍しいのではないでしょうか。
私たちは「教会は政治に関わるべきではない」という教会をたくさん見てきました。しかし、私たちが一見平和そうに生きている足下で、どんな犠牲が払われているか、それを覚えておかねばなりません。そして平和のために何ができるかを考え、話し、実行できる教会になりたいものです。
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#沖縄 #米軍基地 #辺野古
【「私たちの信仰」と「私の信仰」】2022年10月2日(日)徳島北教会世界聖餐日礼拝説き明かし by ぼやき牧師|富田正樹
#世界聖餐日 #最後の晩餐 #徳島北教会
聖書の引用……出エジプト記12章21−28節(過越の儀式の由来)
説き明かし……「私たちの信仰」と「私の信仰」
【おはなしの概要】
出エジプト記にはエジプトで奴隷になっていたイスラエル民族が、主なる神によって解放されたことをお祝いする「過越祭」の由来が書かれています。この物語を、後々ユダヤ人は自分たちの民族のアイデンティティを確立する重要なお祭りとして祝うようになっていきます。
ここで描かれているのは、イスラエル民族にとっての「私たちの信仰」です。集団的な信仰です。そしてその「私たち」の外にある人びとは、敵であるか自分たちよりも劣った者たちという捉え方になります。
しかし、イエスはこのイスラエルの「私たちの信仰」を相対化してしまい、「私の信仰」に変えてしまいます。イエスは癒やすにしても教えるにしても、「あなたはどう生きるのか」、「あなたの信仰はどうなのか」ということを問うてきます。イスラエルの律法に基づいて教えながらも、その根本にある精神をもって各個人に迫ってくるのです。
イエスは最後の晩餐で、イスラエルのための過越の食事を、多くの人(すなわち全ての人)のための生贄を献げるための食事に変えてしまいます。そして、その生贄に自分がなるというのです。このことによって、「私たちの信仰」は新しいものになります。「私たち」は自分たちの民族という狭い範囲のものではなく、人類全体という視野に広がるのです。
この新しい「私たち」はひとりひとりが「私の信仰」を確立した上で、作り上げられるものだと思います。「私たち」という集団的な信仰によりかかるのではなく、「私」の信仰をしっかりと持った集団が、新しい「私たち」すなわち教会を作ってゆくのです。
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【空しい人生の日々を楽しく生きる】2022年9月18日(日)徳島北教会手術礼拝説き明かし by ぼやき牧師|富田正樹
聖書……コヘレトの言葉9章3−7節(パンを食べ、酒を飲め。空しい人生の日々を楽しく過ごせ)
説き明かし……「空しい人生の日々を楽しく生きる」
#コヘレトの言葉 #空しい人生 #ニヒリズム
【説き明かしの要約】
コヘレトの言葉は聖書の中でも異色の書物です。聖書の中で、これほど「空しい」、「一切は空である」という言葉を連呼する書物が他にありません。
コヘレトは、人が死んだ後、陰府という死後の世界に行くことは否定していませんが、そこには何も無いのだと言い切ります。そして、生まれてきても、どうせ誰もが死んでしまうし、死んでしまえば何もかも終わりであり、何の意味もないのだと言うのです。
しかしコヘレトは、そんな空しい人生の日々を、やけになって自暴自棄な生き方をするのではなく、きちんとした身なりで、手につけた仕事を熱心に行い、その苦労の報酬として、飲んで食って楽しめと言います。
これはニヒリズムと相通じるものがあると思われます。ニヒリズムというのは、絶望感や悲壮感のことではありません。ただ、意味のない人生が究極的に自由であることを喜び、自分だけにしか描けない人生を描いてゆくことに繋がります。
そんなコヘレトに、イエスの生き方も似たものがあるのではないかと感じます。イエスは「明日、炉に投げ入れられる草花でさえ、神は装ってくださる」と言います。今日、明日死んで、何も残らなかったとしても、それはそれでいいじゃないか。今、与えられている命を精一杯生きて、そしてその苦労の報酬を味わおう。そのようなメッセージをコヘレトの言葉から引き出すことができるのではないでしょかうか。
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【神さまと共に、鼻歌まじりで】2022年9月4日(日)徳島北教会主日礼拝解き明かしby ぼやき牧師|富田正樹
聖書の箇所……イザヤ書5章1〜7節(ぶどう畑の歌)
【お話の概要】
イザヤ書5章は、腐敗して危うい政権運営をしていたユダ王国という国の政治を厳しく批判した文書です。その非難の仕方は、今の私たちの住んでいる国の政治状況とも重なるところがあるようなところがあります。
イザヤが言うには、神さまは歌を歌いながら楽しんでぶどうを植えるように、地上に人間を作ったのです。そして甘い美味しいぶどうの実ができることを待ち望んでいました。しかし、人間はその期待を裏切り、流血と泣き叫びの社会をこの世に生み出してしまいました。
一体神さまは、なぜ人間に自由を与えたのでしょうか。神さまが人間に自由を与えたのは失敗だったのでしょうか。
しかし、愛や平和や公正や正義というものは、神さまから押し付けられて実現しても意味がありません。それらは、人間の自由で自発的な愛から生まれないと価値はないのです。
自由で自発的な働きを神さまは今も待っておられるのではないでしょうか。
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【妻を屈服させ、怖がらせよと聖書に書いてある】2022年8月21日(日)徳島北教会主日礼拝説き明かし by ぼやき牧師|富田正樹
聖書の引用……エフェソの信徒への手紙5章21節〜6章4節(妻と夫、子と親)
エフェソの信徒への手紙は、本当のところはパウロ自身によって書かれたわけではないと言われていますが、それでも多くのクリスチャンの心に残る美しい言葉がたくさん残されています。
しかし、今日お読みした「妻と夫」の教えは、実は恐ろしい内容です。というのは、妻に対して夫に「従いなさい」と書いてあるのは、実は「屈服しなさい」とも読めるし、「敬いなさい」というのは「恐れなさい」「怖がりなさい」とも読めるわけです。
ただ、これは当時のローマ社会の中では標準的な男女関係のあり方だったかもしれません。この時代・社会においては、強い男が女も弱い男も屈服させ、支配するという性の文化だったからです。
ですから、そういう意味ではこの聖書の箇所で、世の夫たちに対して、「自分の体にように愛しなさい」「アガペーの心で(自分以上に大切にする心で)愛しなさい」と言っているのは、実はスキャンダラスな勧告であったかもしれないのです。
この手紙の作者は、この人なりに、懸命にその時代に対して挑戦していたかもしれません。革命的な愛の教えを説いていたのかもしれません。
それならば私たちは、この聖書の箇所が問題だと指摘するだけに終わらず、私たちの時代なりにその愛をアップデートしてゆくのが、この手紙の作詞の思いに応えることなのではないでしょうか。
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【激怒するイエスに端っこからついてゆく】2022年8月7日(日)徳島北教会主日礼拝説き明かし by ぼやき牧師|富田正樹
【聖書の言葉】
マルコによる福音書11章15−19節(イエス、神殿で暴れ、商人たちを追い出す」)
【説き明かし要約】
皆さんのイエスという人に対する印象はどんなものでしょうか? 優しくいつも微笑んでいるような穏やかなイメージでしょうか。
私のイメージはちょっと違っていまして、イエス様といえば、よく怒り、憤っているという印象があります。
今回は特に、イエス様は神殿で、小規模かもしれませんが、暴動を起こしています。
当時の神殿は、宗教と政治と経済的な中心が一体化しているような施設で、人々に神の怒りや呪いをときながら、献金や神殿税、生贄の販売益や両替商などからの上納金など、二重三重もの利権構造が成り立っていました。これに対してイエスは心底怒りを覚えたようです。
怒りを行動に表して、彼は逮捕されて、処刑されてしまいました。彼のやり方は間違っていたのでしょうか。賢くなかったのでしょうか。
それはそうかもしれません。しかし、彼は復活したと言われます。「イエスの言葉、イエスの働き、その生涯は終わっていない。いやこれからだ」という弟子たちの思いが、彼を再び引き起こしたのではないでしょうか。
怒るイエスと直接知り合いになるのは、ちょっと怖いような気もします。ですから、ちょっと離れたところから、でもイエスは正しいのだと信じながら、ついてゆき、自分のできることをしたいと思います。
皆さんはいかがでしょうか?
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【主の祈りには感謝の言葉がない】2022年7月17日(日)徳島北教会主日礼拝説き明かし by ぼやき牧師|富田正樹
聖書の言葉……マタイによる福音書6章9−13節(主の祈り)
今日は主の祈りについて考えてみましょう。
主の祈りは、おそらく今日明日の食事もとれるかどうかわからないような困窮の中にある人に対して語った祈り方の教えであろうと思われます。
そのようなイエスが、「このように祈りなさい」と言った祈りの中には、感謝の言葉がありません。ちょっと調べると、イエスが感謝したとか、「ありがとう」と言ったという記事は聖書にはほとんどありません。
ただ、たった2つの場面でだけ、イエスは感謝を捧げます。1つは4000人に食事を提供した場面。もう1つは最後の晩餐の場面。これだけです。
この2つの場面で「感謝」と訳されているのは「ユーカリスト」という言葉です。そしてこの「ユーカリスト」は「聖餐」とも訳される言葉です。
4000人に食事を提供したことも、最後の晩餐も、「ユーカリスト」なのです。
感謝について語ることの少ないイエスが、限られた場面で語った感謝の言葉。それが、困窮する人と食べ物を分け合う時であったということに、私達が知らされることは何でしょうか。
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【嫉妬と劣等感から生まれてしまった罪】2022年6月19日(日)徳島北教会主日礼拝説き明かし by ぼやき牧師|富田正樹
聖書の言葉……創世記4章1−16節(カインとアベル)
人類最初の殺人は、最初の神への裏切りからたった2世代目に起こってしまいます。しかも、最も身近で仲良くあって欲しい兄弟の間で起こってしまうのです。
この物語は原型は、おそらく遊牧民の民話でしょう。神様は定住の農耕民たちの献げ物ではなく、自分たち放浪の遊牧民の献げ物に目を留めてくださるのだという物語でしょう。それを素材にしながら、創世記の著者は、人間の愛憎と憎しみの根源を描く物語に仕上げたのではないかと思われます。
悲劇の始まりはアダムとエバが、善悪の知識により、ありのままの自分たちを受け入れられなくなって、自己否定を始めたことに端を発しているのではないでしょうか。
本当の自分を自分で受け入れられない両親のもとで育ったカインとアベルは、善悪の知識で自分や他人をさばき、他人の評価でしか自分を肯定できない人間に育ってしまいます。そして今回、主が目を留めるか留めなかったで、自己肯定と自己否定に分かれてしまうのです。
主の選択とその前後の対応に問題がなかったわけではありませんが、カインが「自分は間違ったことをしているわけではない」と自覚していたら、このような悲劇にまで発展することはなかったかもしれません。しかしカインは、自分の存在意義を他者からの評価に預けてしまったのでした。そしてその自己否定の感情が、殺意を抱くまでの憎しみに発展してしまったのでした。
本当の愛を受けて育つことができなかった人は、自分のとても近くにいる者を攻撃することで自分の存在を確認しようとするのではないでしょうか。そして、それがこの世の差別、排除、ヘイトに相通じるものがあるのではないでしょうか。
本当は愛されなくてはならないのは、殺意を抱いてしまったカインの方なのでしょう。
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【いろんな言葉が話せたらいいだろな】2022年6月12日(日)徳島北教会ペンテコステ礼拝説き明かし by ぼやき牧師|富田正樹
聖書の言葉……新約聖書・使徒言行録2章1〜13節(使徒たち、聖霊に満たされ、各地の言語で話し始める)
ペンテコステの出来事はちょっと愉快な物語です。突然イエスの弟子たちが、色々な国や民族の現地の言葉を話し始めたというのですから。
これは、イエスのことを各地の人々に、それぞれの地元の言葉で語り伝えたいという弟子たちの情熱が顕れたお話だと言えるかもしれません。
このお話を、バベルの塔の物語と関連付けて理解する人もあるようです。神様が散らされた言葉を、再び互いに理解し合うことに意義を見出すのです。
しかし、大切なことは、世界の言葉が再び統一されたのではなく、バラバラのままで互いに理解し合えるようになったということです。それぞれに言葉は人間のアイデンティティ、文化、生活に根ざしています。それらが大切にされたということです。
言葉を統一しようとするのは、覇権国家のすることです。しかし、このペンテコステの物語は、それとは違うあり方を示しているのだと考えられるのです。
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【イエスは若いか年寄りか〜永遠の青二才】2022年5月29日(日)枚方くずは教会宣教 by ぼやき牧師
日本キリスト教団枚方くずは教会(大阪府)における宣教
聖書……ルカによる福音書3章23節(イエス、30歳で何かを始める)
イエスは30歳に何かを始めたとルカは記しています。
30歳とは聖書においてはどのような年齢としてとらえられていたのでしょうか。ヨセフがファラオの前に立ち、エジプトを治める宰相となったのは30歳とされています。またダビデが王となったのも30歳でした。
その一方で、イエスの時代の貧しい人々は、栄養や医療の事情で30歳を超えれば長寿だったという説もあります。イエスの話を聴いた貧しい人々は、みなイエスより若かったと考えられます。ですから、イエスはその当時では一応人生のベテランと見られていたのかもしれません。
しかし、イエスの精神年齢はそんなに高かったでしょうか。聖書にはイエスの大人げない態度がいくつも記録されています。その最たるものが、ミノならないいちじくを呪って枯らした場面です。イエスは実は青二才だったのです。
にもかかわらず、キリスト教はそんな青二才の言葉を神の言葉として書き記しました。つまり神は永遠に青二才。神は永遠に若い。イエスは永遠に若いのです。
イエスを信じ、イエスにつながるということは、イエスの永遠の若さにつながるということなのです。
【私たちにしか通れない道を行こう】2022年5月1日(日)徳島北教会主日礼拝説き明かし by ぼやき牧師|富田正樹
聖書の箇所……マタイによる福音書7章13−14節(狭い門から入りなさい)
説き明かし……「私たちにしか通れない道を行こう」by 富田正樹牧師
今日は4月17日(日)の徳島北教会の定期教会総会で決定した、2022年度教会指針「私たちにしか通れない道を行こう」を説き明かすお話です。
有名な「狭い門から入りなさい」という言葉は、「よりしんどい道、より困難な道を行きなさい」という意味に捉えられがちです。
確かにそういう読み方も良いのです。けれども、ちょっと別の読み方もあります。
例えば、この「狭い門」というのは、自分にしかない個性に形が整えられた、自分だけにしか通れない狭い門という捉え方もできるのです。
広々とした皆んなが通る道ではなく、それを見いだす事ができる人のほうが少ないような、そんな自分にしか見つけることのできない道を見つけて、自分らしく生きてゆきましょう。
【赦しってなんですか〜私の復活も許される】2022年4月17日(日)徳島北教会イースター礼拝説き明かし by ぼやき牧師|富田正樹
#イースター #赦し #復活
聖書……ルカによる福音書23章34節(父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです)
説き明かし……「赦しってなんですか〜私も復活を許される」by 富田正樹
イエスは十字架につけられ、殺されながら「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです」と言いました。
このような究極の赦しを、私達はどう捉えるでしょうか。たとえば、殺される側の人、暴力を受ける側の人、差別される人、そしてそのような人に寄り添う人にとっては、加害者も赦されているということには、まずもって納得がいかないでしょう。このようなイエスの赦しは常識はずれです。
しかし、このような常識はずれの赦しが無ければ生きてゆけない人間もいます。加害者が悔い改め、反省し、謝罪し、自分の生き方を変えて生き直すためには、このような安全な場所と時間が必要なのです。ただ正義を振りかざして裁かれるだけでは、加害者は変わることができないのです。
人は赦さなくてよいのです。しかし神は赦します。人が赦さなくても、神が赦しているから、それで十分なのです。
神が赦してくださっているから、加害者である人間は人生をやり直すことができます。それは私という人間の復活でもあるのです。イエスと共に、復活して生き直してゆきましょう。
【筋書きのないところに神の筋書きがある】2022年2月6日(日)徳島北教会主日礼拝説き明かし by ぼやき牧師|富田正樹
聖書……創世記45章1−8節(ヨセフ、自分の正体を明かす)
ヨセフ物語は、創世記の族長物語の中でも、おそらく最もドラマティックで感動的なドラマではないかと思われます。
ヨセフは自分が望んだわけでもない逆境に次々に襲われ、それに懸命に対処しながら何とかして生き延びてゆく。この運命の予想もつかなさに、私たちの人生と似たところがあるのではないでしょうか。
ヨセフは兄弟たちに裏切られ、捨てられて、恨みとトラウマを抱えて生きているわけですが、最終的には赦しと和解を果たします。それを可能にしたのは何だったのでしょうか。
そして、一寸先もわからない私たちの人生において、神の導きを感じるようになるのはどのような時なのでしょうか。
【ありのままのあなた、これからのあなた】2021年10月17日(日)徳島北教会主日礼拝説き明かし by ぼやき牧師|富田正樹
聖書の箇所……ルカによる福音書10章25−37節(善いサマリア人)
「善いサマリア人」のたとえ話では、律法の専門家とイエスの対話の中で語られる話です。
この律法の専門家の模範解答に対して、イエスは頭から否定してかかるわけではなく、憤慨して口撃するわけでもなく、とりあえず肯定します。そしてそれを言葉だけではなく実行するようにと促すだけです。
しかし、この質問者は自分で考えるのではなく、応用例まで先生に求めようとするのです。そこでイエス先生はちょっと本気になって、皮肉の効いたたとえ話をして、やはり最後は実行するようにと告げるだけです。どう実行するか、どう応用するかは本人が考えて取り組むしかないのです。
このようなイエスを見ていると、イエスはなかなか良い教師なのではないかと思われてきます。イエスの問いには細かい正解がありません。イエスの言葉は「問い」なのです。どのように「応答」するかは、私達自身が自分で試行錯誤して求めるしかないのです。
【裏切り者の食卓】2021年10月3日(日)徳島北教会世界聖餐日礼拝説き明かし by ぼやき牧師|富田正樹
聖書……ルカによる福音書22章31−34節(ペトロの離反を予告する)
聖餐は裏切り者の食卓です。主の晩餐の参加者は、皆イエスを裏切って逃げました。なかでも、シモン・ペトロはイエスに「牢であろうと、死であろうと、覚悟はできております」と言っておきながら、「そんな人は知らない」と言ったのですから、その罪と責任は重いでしょう。
しかし、福音書記者ルカは、そのようなペトロが「戻ってきたら兄弟たちを力づけてやりなさい」という言葉をイエスに言わせています。それはペトロたちが戻ってきて教会の要職につくことをイエスが許したかのようです。このようなことを書いているのはルカだけです。
ここに罪を犯して、逃げ去り、迷っている人をこそ拾い上げようとする神を描くルカの優しさがあります。
ルカの描く神は、私達が不敬虔で罪深く、神の敵であったときから、神の方から和解の手を差し伸べてくださる愛の神です。私達が神を愛する前から神の方から私達を愛してくださっているのです。
だから私達は、神を裏切ってさえも、大きな顔をして戻ってくることができるのです。この愛に応えて私達もできれば、変わりたいものです。
【心を一新して自分を作り直していただく】2021年9月19日(日)徳島北教会主日礼拝説き明かし by ぼやき牧師|富田正樹
聖書の言葉……新約聖書・ローマの信徒への手紙12章1−2節(世に倣ってはなりません)
パウロは「自分を生きた供え物としなさい。世に倣ってはなりません。心を新たにして、自分を造り変えていただきなさい。何が神の御心であり、何が善いことで、神に受け入れられ、また完全であるかを検証しなさい」と言っています。
この言葉を読むと私は、高校生時代、教会で「世に証を立てなさい」と厳しく教えられたことを思い出します。そのように言われた時、何か立派な人間であるかのように振る舞わなくてはならないのではないかと、気負いと胡散臭さの両方を感じていました。
世に倣わないというのは、この世界に対して何か立派なことを示そうというのではなく、この世界を今動かしている、人の本来のあり方を損なう諸々の力に同化しないことというメッセージを引き出すことができるかもしれません。
世に倣ってこしらえた鎧を脱いで、神が私達を「良し」とされた、その本来の自分に作り直していただくということが必要なのかも知れません。
【わたしにも心というものがあるのだ】2021年9月5日(日)徳島北教会主日礼拝説き明かし by ぼやき牧師|富田正樹
聖書……マルコによる福音書1章40−45(規定の病/重い皮膚病を患っている人を清める)
聖書の中で「重い皮膚病」あるいは「規定の病」と訳されているのはヘブライ語で「ツァラアト」という言葉です。
ツァラアトの患者は、後のハンセン病患者のように「汚れた者」とされ、忌み嫌われ、避けられ、社会から排除されました。
しかし、イエスは断腸の思いから、矢も盾もたまらず、自分を抑えることもできずに思わずこのツァラアトの人を助けたいと思ったのでした。
私たちが信じているイエスは、このような、思わず人を助けずにはおれない、救わずにはおれない思いにあふれた方なのです。
【混乱があって当たり前で一緒に生きてゆく】2021年8月22日(日)徳島北教会主日礼拝説き明かし by ぼやき牧師|富田正樹
聖書……創世記3章1−7節(善悪の知識の実を食べる)
神は「善悪の知識の実を食べると、死んでしまう」と言いました。実際には食べた人間はその瞬間に死んだりはしませんでしたが、次世代のカインとアベルの兄弟の間に殺人が起こりました。
人の善悪や正邪を決めようとする思いから、自分と他者の両方を「良し」とすることができず、相手を否定することによってでしか自分を肯定できなくなる。すなわち、善悪の知識が人を殺すということが起こってしまうわけです。
世の中の争いごとの根底にあるのは、常に「あいつか俺か」という二者択一の発想です。自己を受容することができず、常に他者を貶めることでしか自己承認できなかったり、逆に自分の存在を悪、または間違ったものとするために、自分が生きてゆくということ自体も肯定できなかったする場合があります。これらの根底にも、善悪を知ろうとする人間の本性が潜んでいます。
私達はこの善悪の知識を捨て去り、混乱と忍耐と葛藤があっても、互いに異なるままで一緒に生きてゆく。そんな教会であろうと願っているのです。
【苦しい時の神頼みでええじゃないか】2021年8月15日(日)徳島北教会主日礼拝説き明かし by ぼやき牧師|富田正樹
聖書……マタイによる福音書6章5−6節(祈るときには)
「祈るときには、奥まった部屋で隠れて祈りなさい」と聖書には書いてあります。
誰にも見聞きされないところで、神様にだけ話しなさいということです。 誰にも見聞きされないところで、自分のために祈る、その祈りは素っ裸の心による、何も嘘も飾りもない祈りです。
祈る前から神様は私達のことをよくご存知なのですが、それでも言葉に出すことによって、私達は私達自身の思いを明らかにすることができます。 そして、自分自身の心を見つめ直すことによって、進むべき方向を見出すことができるのです。
ですから、「苦しい時の神頼み」でよいから、皆さん祈りを大切にしましょう。
【女は教会では黙ってろ?】2021年5月30日(日)徳島北教会主日礼拝説き明かし by ぼやき牧師|富田正樹
聖書……コリントの信徒への手紙(一)14章34−36節「婦人たちは教会では黙っていなさい」
パウロの手紙にある「婦人たちは教会では黙っていなさい」という言葉は、パウロによる女性差別が如実に表れた言葉であるとして、以前から激しく糾弾されてきました。
確かにパウロには、時代の限界だったのか、女性を蔑視する傾向は否定できません。しかし、当時の風潮でどんなものであったかを考えれば、むしろマシだったのかもしれません。
それどころか、パウロの手紙の書かれた順番を調べてみると、最初は女性を軽んじていたパウロが、次第に女性の存在の大きさを認め、称賛してやまない人間へと成長していった様子がわかるのです。
パウロとように成長する人間でありたいものです。
【聖霊ってなんですか?】2021年5月23日(日)ペンテコステ礼拝メッセージ
聖書……テサロニケの信徒への手紙(一)5章23−24節(霊と心と体) ペンテコステはイエス様亡き後、弟子たちのところに聖霊の火が降り、宣教を始めた日とされています。 けれども「聖霊」って何でしょうか?
三位一体と言われる神さまの中で、「神様」「イエス様」はなんとなくわかるような気はするけれども、「聖霊」についてはよくわからないという方が多いのではないかと思います。
今回は「聖霊」とは何なのか。どうすれば感じることができるのか、などについてお話してみました。
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【愚か者のやぶれかぶれ】2021年5月16日(日)枚方くずは教会&徳島北教会オンライン合同礼拝メッセージ by ぼやき牧師|富田正樹
聖書……コリントの信徒への手紙(二)10章9−11節(会うと弱々しいパウロ)
コリントの信徒への手紙(二)の10章から13章は、「涙の手紙」と呼ばれることがあります。コリントの教会と微妙な関係にあったパウロは、コリントの信徒たちの間で、どんどん自分の評判や信頼が落ちてゆくのに対し、焦りと憤りを隠せません。 「手紙は重々しく力強いが、会ってみると弱々しく話もつまらない」という言葉は、実際にパウロの耳に入ってきた彼への不評でしょう。この言いぐさがどんなに彼を傷つけ、苦しめたでしょうか。
しかし、このやぶれかぶれの恨み節に始まった「涙の手紙」を書きすすめるうち、パウロは次第に自分の苦難の人生が、弱い人を見ると自分も弱くなり、躓く人を見ればかえって心が燃えるという自分の中の力の源に気づいてゆきます。そして「私は弱いときにこそ強いのだ」という告白にまで導かれてゆきます。
弱い者、愚かな者、不器用で格好悪い生き方しかできない者。そういう人間をこそ、神は選んで用いようとします。それは楽な道ではありません。神さまさえそんな選びをするとは、愚かなのです。 しかし、その愚かさの極致に究極の賢さがあり、その歩む先に救いがあるのです。
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【神さまは水をやったり肥やしをやったり】2021年5月2日(日)徳島北教会主日礼拝説き明かし by ぼやき牧師|富田正樹
聖書……ルカによる福音書13章6-9節(実のならないいちじくの木のたとえ)
この物語に出てくるいちじくの木は、なぜかぶどう園に植えられています。このことは、まるで場違いな場所に生きているような人間の姿を表しているような気がします。その場違いな場所で、花も実もつけることができずに悩ましい毎日を送っている人間です。
ご主人さまはそんないちじくの木を「実をつけないから切り倒せ」と言います。しかし、園丁は「来年まで待ちましょう」とご主人を宥め、この木をかばいます。この園丁の姿に、私たちは神やイエスの愛を見ることができるのではないでしょうか。
私たちも皆が花も実もある人生を送っているわけではありません。観葉植物のように派手さもなく、ただそこにいるだけという人もいるでしょう。強く、速く、多くを求める現代社会において、取り残されがちな人もいるでしょう。
しかし、神の目から見れば、その弱く、時間のかかる、少ないもので生きる人も愛すべき1本のいちじくの木なのです。愛されている、守られているということを信じて生きたいものです。
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【どこにも神などいるものか】2021年4月4日(日)イースター礼拝メッセージ@徳島北教会 by ぼやき牧師|富田正樹
聖書……マルコによる福音書16章1-8節(イエス、再び起こされる)
イースターおめでとうございます。
しかし、聖書によれば、イエス様は十字架につけられたままの姿で起こされたのだと見る読み方もあります。もし、イエス様の復活がそのようなものであるとすれば、イースターとは単に「イエス様がよみがえられた、おめでとう!」と単純に喜んでいいものとは言えないものではないのでしょうか。イエス様が今も私たちと苦しみを共にしておられるということは、笑い事ではすまされないのではないでしょうか。
実際、病気が治った、人生の難題が解決した、といったことを「救い」だと言う人もいるでしょう。それはそれで良いこと、ありがたいことなのです。しかし、イエス様が寄り添おうとされたのは、手を尽くしても助からない人、どうしようもない苦悩の状態に置かれた人なのです。
そんな人と一緒に苦しみ、一緒に死ぬためにイエス様は十字架につけられ、そのままの状態で今も、「助からない人」と共に苦しみを共にしておられるのです。
それがイースターの意味、救いのないところに救いがあるという逆説なのです。
【イエス様には失望いたしました】2021年3月21日(日)徳島北教会主日礼拝メッセージ by ぼやき牧師|富田正樹
聖書の箇所:マルコによる福音書15章21-32節(イエス、十字架につけられる)
レントも大詰め、イースターまで2週間です。ここで、イエス様のご受難について深く思いをはせる時としたいと思います。
イエス様はなぜ十字架につけられることになったのでしょうか。なぜ人々はイエス様を殺さなければ気が済まないと思うことになったのでしょうか。
それはイエス様にかけられた大きな期待と、イエス様がその期待を見事に裏切ってしまったことによるのです。
イエス様のご受難の背景にある事情を読み解き、このイエス様の死があなたにとってどんな意味を持つのかに心を巡らせてみましょう。
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【そんな人は知らない】2021年3月4日(日)徳島北教会礼拝メッセージ by ぼやき牧師|富田正樹
聖書:マルコによる福音書14章66-72節「ペトロ、イエスを3度知らないと言う」 皆さんは人を裏切ったことがありますか?
ペトロはイエス様の一番弟子でしたが、イエスが「あなたたち全員私を見捨てて逃げるだろう」と言った瞬間に、「たとえ一緒に死なねばならなくなっても、あなたを見捨てません」と言いました。
そんなことを言うので、かえってこの人の裏切りの罪は重いと言えるでしょう。
福音書と使徒言行録を見る限り、ペトロが原始教会の指導者として率いてゆく前に、裏切りを懺悔したなどということは書かれていません。彼は、イエスの死後、口を拭ってイエスの弟子たちのところに戻ってきましたが、その前に強い強い懺悔があったのだ、というのは想像の産物でしょう。
ヨハネの福音書は、このようなペトロに対して、やがて彼自身がイエスと同じ苦しみを味わうことになるであろうことを(事後から)予言してます。 それはペトロにとっては厳しい結末ではあるでしょう。けれども、それは「私と一緒に苦しもう」というイエス様からの歩み寄りです。
苦痛あるいは絶望においてこそ、イエス様の苦しみと自分の苦しみは重なり合うのだということを、聖書はペトロを通して教えてくれるのです。
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【信じてはいなかった。だが助けてはくれないか】2021年2月21日(日)徳島北教会礼拝メッセージ by ぼやき牧師/富田正樹
聖書の箇所……マルコによる福音書9章14-29節(霊に取り憑かれた子を癒す)
この物語はイエス様が亡くなってから40年近く後の、福音書記者マルコによるエルサレムの12弟子が創立した教会に対する批判であると読むのが良いでしょう。
この教会の人たちは、議論ばかりして、実際に病気や障害や問題行動などで苦しんでいる親子の手当てをするでもなく、何も力を発揮できないでいるではないか、という批判なのです。
イエス様は「(神さまを、イエス様を、そして人間同士が)信じる気持ちをしっかりと持てば、不可能なことはないのだ」とおっしゃっています。
この物語は私たちの教会が陥りがちな問題を鋭く突いていると言えるでしょう。「祈りによらなければ」とイエス様はおっしゃいます。けれども私たちは、苦しむ1人の人のために真摯に祈るということさえも怠っているのではないでしょうか。
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